2017年07月26日

この世界では、ただひとつだけが正しいのではない。

心ない言葉に傷つく必要はない。

その言葉は「相手の価値観の中」から生まれたものにすぎない。

その一言で「あなたの価値」が決まるわけではない。


それぞれに
いろいろな設計図があるから

自分で人生をつくっていこう
と言っても

何をしていいのかわからない人も
自分では決められない人もいる。

そういう人は
夢を追いかけている人を通して(応援することによって)
自己実現を果たしたり

人との関わりの中で自分を見つけていったりする。



「思いやり」と言っても

「思いやり」を表現するのには
様々な形があって

相手のために「何かしてあげる」ことが思いやりだと思っている人もいれば
(わかりやすいしね)

「何もしない」思いやりもあるという人もいる。


見守る、好きなようにさせるような
思いやりは
わかりにくくて
時に(わかりやすい方を好む人には)
「冷たい」とか「思いやりがない」とか言われることもある。

わかりにくい方を好む人は
わかりやすい方を
「押しつけがましい」とか「よけいなお世話」のように感じたりすることもある。


でも
それぞれの中で
確かに
それは
「思いやり」として存在していて

どちらを好むのか
ただそれだけのことだったりするので


どちらかが正しいということなどないので
(自分の立場から、どちらかが正しいと思いがちだけれど)

たとえ
相手が
自分の立場から正しさを主張して
あなたを否定してきたのだとしても

必ずしも
片方が正しいということなどないと知っていると

少しは楽になれないだろうか?

そこでムキになって
反論しなくても、自分を主張しなくても(不毛)


それはそれ

自分は自分


それぞれは違う

と思っていれば
(自分には別のいいところがある、と知っていれば)

落としどころが
見えてはこないだろうか?

自分が傷つくのを
防ぐことができるのではないだろうか?

それぞれの善いところは違う。
表現方法も違う。

私には私のいいところがある
と認めてあげてほしい。


ひとりひとりが
求める愛情の量と質は違う。

何を求めているのか

何を求められているのか

理解しあえれば

もう少し

違った共存に
ならないだろうか?


相手に見るものは
自分の中にあるものだったりする。
自分がどんな一面を観ているのかだけだから。

自分が見ている一面が
相手の本質とは限らない。

思い込みで見つめることがほとんどで

だから面倒な(わかりあえない)ことになる。

個人は深遠で
わかりきることなど
できないのかもしれない。


であれば

その人の
よい面を探すのが
なによりの
解決法だと言えるのではないだろうか?


人はいくらでも
変われる。

善い面を見つめれば見つめるほど

浮かび上がってくるもの。


それでも
嫌だと感じることが多いのならば

「関係性」を考えた方がいいのかもしれない。



離れてはじめて見えてくることや
離れたことにより相手の態度が変わったり
自分の心にも余裕ができて
優しくなれたりすることもある。

この世界では、ただひとつだけが正しいのではない。
あらゆるものが用意されているところだから。

どれを使ってもよくて
どんな体験をしてもよくて

それを通して
自分はどう在りたいのか

それが
問われている。


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あなたは
他者に
どんな一面を見出だしているのだろう?

それは
そのまま
自分を表している。


他者評価は自己紹介(笑)


自分の品格が浮かび上がります。




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2017年07月20日

総てを受け入れる

自分の人生を
総て受け入れるとき

ストーリーは始まる。


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本当の人生が始まる(本当の自分を生きる)のは、それから。


口でどんなに
わかっているようなことを言っても
頭で理解していようとも

それが
できているか

どんな言葉を発しているのか

どう行動しているかで


すべては決まる。



一見受け入れられているように見えても

本当の心が反発していては

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるかのごとく
事態は動かない。


受け入れているようで
受け入れられていない

ということも
よくあることで
(全力で目をそむけているから見えない)


時に
饒舌になるのは

必死に
自分をごまかすためだったり

取り繕うためでもあったり


・・・でも
それでは

何も変わらない。


本当の自分に向き合うのは
痛みを伴うこともある。

認めがたいものを見なければいけないこともある。

だから
なかなか見えないし
認められない。

でも
それを受け入れてこそ
(ホントはこうしたかった。こうでありたかった。でも、今はこうだ。という、そのギャップも)

今の自分を丸ごと受け入れて
それでもいいと赦して

この自分で生きていく。
と覚悟して(受け入れて)

やっとストーリーが展開していく。


自分や
自分に起きていることを
否定したままでは

どこか別のところに逃げ場(都合のいい理由)を探しているのでは
(こんなはずじゃなかった、と思ったままでは)


進めないようになっている。



でも
いつでも
リスタートできるようになっている。

遅いということはなく
ただタイミングがあっただけ。


すべての魂に
それぞれの計画があるのだと

自分には自分の選んだ道があるのだと悟り

ただ
自分の道を行く。

今あるものに満足(感謝)して
生きていると

そのような人生になっていく。


「望む」のはそれからの方が
ずっと走りやすい。


「受け入れる」
「覚悟する」
「逃げない」

どれも同じことだけれど


その心境になって
胆が据わると


とたんに景色は変わる。


いとおしさがあふれてくる。


全力で否定していた自分を受け入れたから。

大概のことなら受け入れられるようになる。


本当の自分をまっすぐ見つめる強さが

あなたを美しくする。



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そんなあなたの上に
奇跡は舞い降りる。




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2017年07月15日

最初からあるから、安心して。

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様々なことが
入れ替わり立ち替わり起こるように見えるけど

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時に
曇って「見えない」と
感じることもあるかもしれないけれど

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答えは自分の人生の中にある。
今、目の前にあるもの、それ。

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近すぎて当たり前すぎて
わからないかもしれないけれど

これからどんな人生にするのかは
今の自分の在り方が影響していく。



あらゆるレベルの中に(時空を超えて)

見つけることができる人もいるけれど

自在に往き来できるケースの方が珍しいのかもしれない。

多くは
感じることもなく

普通に過ぎて行く日々。


けれど、それでもいい。


この現実を生きている

それは
みんな同じ。

そうとは知らなくても

起こることは起きているし

なることはなるようになっている。

誰もが

それぞれに
スペシャルな体験をしている。


その現れ方が違うだけで

そこにさほど大きな差はない。


どんなに輝いて大きく見える存在も
特別に見える人も

同じ「ヒト」で


違うとすれば

ただ自分に
素直に生きて

自分に授けられたものを愛して

それをひたすらに磨いているだけなのかもしれない。
(だから輝いて見えるのは当然)


自分にないものは磨けない。

あるから磨ける。


自分にないものを
「あの人」は持っていると思うかもしれないけれど
(そして、そういうものほどよぉく見える 笑)

「あの人」が持っていないものを
自分は持っている

ってことも
よくあることよ?
(それはなぜか見えにくい 苦笑)


初めから
授かっているものはなんだろう?

自分の中にあるものは?


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誰でもが持っている。

「誰でもが持っている」と知っているヒトは
わざわざ
それを見せびらかすこともない。

自分のやることをわかっているヒトは
おおげさに
騒ぐこともない。


ただ静かに
それを愛している。

それぞれに違うと
知っているから。




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2017年07月05日

マイナス・ネガティブにも優しく

どうしても

マイナス・ネガティブは嫌われがちですが

プラスかマイナス
どっちかに片方に留まっている
ということはなく

どんな人生の中にも
いい(と感じる)こともあれば
悪い(と感じる)ことも起きてきます。
(自分の意識が変わるだけで、ずいぶん生きやすくはなりますが)

ポジティブだけ、というのも
実は偏った体験で

ポジティブなことも
ネガティブなことも
両方あるから
自分が中心にいられるようになります。


ポジティブも
ネガティブも

そんなふうに
使っているだけで
ただ在るだけのもの。


いい、悪い、楽しい、つらいと
感じているのは自分。

決めているのは自分なんです。



時に
体験がつらすぎて
どうにもならなさすぎて

神も仏もあったものか!!
と思ったり

スピリチュアルなんか
何の役にも立たない!
と思ったり

いい方に信じる自分、
それでも善き人であろうと努力してきた自分を
バカバカしく感じることもあるかもしれない。


起こることが起こるときというのは
たいていコントロール不能(人智を超えているもの)で
抗いようもなく
落ち着く(受け入れる)までには時間がかかったりするかもしれない。


何を信じて(信じなくても)
どう生きるか(そんなこと考えなくても)は自由だけど


けれど
やっぱり、心が戻ってくるところはあって


そんな行ったり来たりを繰り返しているうちに

ただ淡々と
やることをやる
やりたいことをやる
生きたいように生きる

ささやかな楽しみに心を染めて
何気ない日常に喜び
たくさんのことに感謝して
生きるようになってきます。

そして
生きているだけで
生きていることそのものが既にスピリチュアルだと気づく。


それそれにいのちの流れがあって
それはその人だけのスペシャルな人生で

すでに守られているし
すべては持っているし

そのいのちの流れに任せて大丈夫だと
信じられるようになって

今、自分、そのまま
を生きるようになるのです。


何があろうとも
どんな人生を設定していようとも

いつも
最期までの時間を
どう生きたか・生きたいのか
それだけが残る。


そのうち
すべての体験を愛せるようになります。




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2017年06月27日

選択する

目の前にやって来たことに

自分が大きな○を出せていれば、OK。

どんな状況であっても

そこから光を見出して
自分が納得していればOK。

納得していないのならば
納得できるまで工夫してみる。


運は善行を吸い上げて
ゆっくり育つ。


自分の日々の選択が
自分の人生を創っていく


上を向けば上へ
下を向けば下へ

世界を美しいと思えば
美しくなり


愚痴を吐けば
愚痴に染まる


あなたの心はいま
何を映し出しているだろうか?

あなたの目に映っている世界が
口から出る言葉が

あなたのものの見方そのもの。


世界はあなたに優しいだろうか。




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2017年06月20日

生きているだけで

魂レベルからみるとアリだけど

三次元的にはナシ

そんなこともたくさんある。


この世界にはヒトが決めたルールがたくさんあって
それは
多勢が規律を守って心地よく暮らすための知恵でもあるのだけれど


魂レベルからみると

それが窮屈

ということもあるだろう。


不自然な縛りも

あるだろう。


でも
この世界に順応するということは
それが強みになることもある。


マナーとは
周りにいる人と楽しい時間を過ごすためのもの。
「いいマナーとは相手への敬意のあらわれ」。

生き方そのものがとってもスピリチュアル。

生きていること
そのものが
既にスピリチュアル。

そこに壁などない。

あると感じるのだとしたら
それは
「ある」と感じることそのものが「壁」になっているだけ。


「離れた」と感じている心が
そう感じさせているだけ。


「高次」もすでに
ここに同時に存在しているから。


ほんとは
高低どちらでもあり、どちらでもない。

心の在り方が
それにふさわしい現実をつくっているだけなのです。




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2017年06月13日

それぞれの苦しみ

無能であること
それが悩みのタネ

という人もいれば

有能であること
それが悩みのタネ

という人もいます。


自分を「無能」だと思って悩んでいる人には

有能であるがゆえに悩んでいる人の気持ちなどわからないかもしれません。
イヤミにすら感じるかもしれません。


でも、確かにどちらの世界にも、
「悩み」は存在しています。


自分を「無能」だと思って悩んでいる人には、
そんなふうに見られたくない、
周りにそう言われたり、バカにされたりしてつらい、
などあるのかもしれません。

しかし、有能な人にも悩みはあります。
自分の努力で完成させたことでも
「あなたは上司に気に入られているから」など別な理由に置き換えられて
本来の自分を評価してもらえなかったり
やっかまれたり嫉妬されたり

貧乏には貧乏の
お金持ちにはお金持ちの

不美人には不美人の
美人には美人の

それこそ
いろんな条件で

幸せそうに見える(悩みなんてなさそうに見える)
正反対の立場の人でも


それぞれに悩みがあって。

羨ましく思っているあの人も
誰でもどんな立場でも
どっちでも一緒なんです。

「悩み」の中身は違うかもしれませんが、「悩む」という面では。



であれば、
お金があろうがなかろうが
美人であろうがなかろうが
有能であろうがなかろうが

悩まない人に「悩み」は存在しない
ただそれだけのことになります。


悩みをなくすこと、

それは、

悩まないこと」(笑)


・・・まぁ、こう言っても
悩むものは悩むのですが・・・

悩みがある場合には
「ある」んだから、
それをいっそ受け入れる。
あってもいいよ、と。

それでも生きていけるし。
いいところもたくさんあるし。と。

それ込みの自分を生きる。



「条件」など関係なく

幸せになれるんです。
決めれば、いつでも。一瞬で。

幸せになってもいいんです。

今すぐに。





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2017年06月06日

あたたかさに宿るもの

高い波動

それは

優しさ

思いやり

など


愛しい対象に向かって
あふれてくる思いのような
あたたかいもの


それを自分にも向けてあげよう


それが流れれば
そこに
自然に
癒しや奇跡が起こる土台はできあがる。




posted by Kaoru at 21:18| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

そのまま聴く

上司:「この書類、早くまわしてくれる?」
部下:「はい」


これだけの会話。

これだけの会話の中に
幾とおりもの解釈があると考えたことがあるだろうか?
(すみません、ヒマジンなんです 笑)


たとえば


上司:「この書類、早くまわしてくれる?」(今日は、会社にいるのが午前中だけで、午後から出張だから)
部下:「はい」(確か、今日は、午後から出張って言ってたな。じゃ、早く処理しなくちゃ)


この( )の中が
100人いれば100通り(^_^;)


他には


上司:「この書類、早くまわしてくれる?」(遅いな。もっとチャキチャキやれよ)
部下:「はい」(あ、忘れてた)


という場合や


上司:「この書類、早くまわしてくれる?」(クライアントが待ってる、急がなきゃ)
部下:「はい」(今、やろうと思ってたとこなのに。せっかちだな・・・)


という場合もあるかもしれない。



上司:「この書類、早くまわしてくれる?」(今日は、会社にいるのが午前中だけで、午後から出張だから)
部下:「はい」(はっΣ(゜Д゜|||) 私の仕事、遅かった?! わー、どうしよう、迷惑かけてしまったー!)


言う側が何も思ってなくても(自分の都合で言ってるだけでも)
受けとる側が事実以上に自分にダメ出しをしていたり


極端な話


上司:「この書類、早くまわしてくれる?」(今日は、会社にいるのが午前中だけで、午後から出張だから)
部下:「はい」(仕事ができないヤツ、と思われた! >_<)

勝手に否定された気分になっていたり
逆恨みに近いことを考えてみたり・・・などなど

自分の心についた癖で
こんなにも( )の中が複雑なことになってしまったりすることがある。

否定されて育ったり
ネガティブなことを言われ続けたり
自己評価が低いと
悪く受けとりがちで

いちいち気にする「めんどくさいやつ」(表現が悪いかしら)になってしまう(^_^;)
(そしたら優しい人はいちいちフォローしてくれるから、それもめんどくさいことにしてしまっている)


そのままで聴けば
なんでもない言葉を
(事務的会話で済ませられることを)

自分に対する愛のなさから
否定的に受け取っていると

その人にとっては

世の中はさぞ生きにくいところであろう。


だから
自分を愛する

つまり
自分で自分を認められている
ということは大切で

多少の悪意でも
跳ね返せるくらいに
自己肯定感が強いと
楽なのにね。


なんなら
どんな悪意でも
いいほうに解釈して
勝手に
「気が利く人だなぁ」とか
「優しい人だなぁ」とか
「ご親切に、教えてくれてありがとう」とか

思ってるくらいが

自分の世界は平和なのかもしれない
(解釈次第でいい人しかいなくなるから 笑)


( )の中は
往々にして
思い込みや刷り込みであることが多い。

相手の思惑とズレていることも多い。

その考え方のズレが
実際の関係性の中でも大きなズレをつくる。

だから
お人好しと言われても
オメデタイと言われても

いいほうに信じる方が

結局は

自分が生きるのが楽になるのだと思う。

いつのまにか
いい人だらけになるから(笑)


普段から
自分がどんな聴き方をしているのか
少し意識してみてもおもしろいかもしれません。

いかに
言葉にいろんな感情をくっつけて聴いているか
(同じように「起こったこと」にも自分の解釈をくっつけて見ているか)

笑っちゃうくらいに
思い込みがあるから。

そのまま聴く。
心の中がスッキリしている人は

言葉をそのまま聴いてくれます。
(あるいはいい方に)

そのまま聴けば何でもないことが
固有の感情がくっつくから複雑になって
時にケンカになったりもする。


自分が何かをくっつけて受け取っていると気づいたら

次は

何もくっつけずに
そのまま聴く練習をしてみましょう(*^_^*)

だんだん楽になってきますよ




posted by Kaoru at 13:00| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

そのままで完璧ということ

もっと、自然体に

もっと、悩みを少なくして

もっと、苦しまずに幸せになって

もっともっともっと

望みは空より高い(笑)



でも
これは実は自分へのダメだしと同じこと。


もっとこうならないといけない
もっとああなりたい

なんでならないの?!


どんなに
取り除こうとしても

どんなに
変わりたくても

どんなに
がんばっても


ダメなものはダメで
よいものはよくて

在るものはそう在り続ける。

それはもう
自分の一部として
受け入れるしかなくて

こうなりたいと望むのもOK
私はダメだと感じてもOK


どんな自分にもOK

悩むなと言われても悩むものは悩む
感じるなと言われても感じるものは感じる

それはもう
認めるしかなくて(笑)

悩ましいことも
ブレまくりの自分も
頑なな自分も
なにもかもふくめて自分なんだと
思えたら

大成功で


あとは
その自分で生きていくだけ。


どうしても、すぐ自分にダメだししちゃう・・・

それはそれでOK。

すぐにへこんじゃうし、すぐに人に影響されてグダグダになる・・・

それもOK。

だって、
どうしようもなくそうなってしまうってことは
それが自分てこと(個性の部分)。

それでOK。

そう受け止められれば課題クリア(笑)
自分で嫌だと思う部分も実は姿を変えて役に立ってくれているのだけれどね( ´艸`)


どんな自分でも

素敵なところはあるよ。


ない人なんていないよ。


だから、OKなの。



そういうふうに生まれついたのだから、それでいいの。
生まれついた自分でいいの。

それにはね、ふか〜いワケがあるから。

お互い、協力しあっているから。

完璧。

ちゃんと、つながるから。
完全なるキャスティングだから。

あがいても
ジタバタしても
OK。


もっと変わりたいと自然に望むのならば
変わるための努力を惜しまずに発揮してOK。

生きたいように生きるといい。

ベストタイミングで動いているもの。

もう、気にしても変わらないことを気にするのはやめて
(気にしてもいいけど 笑)
波に乗っていこう。

なりたい自分を目指しても目指さなくてもOK。

できる人はやるし、
やらない人はできない、それだけのこと。



食べ物にいろいろな効能があるように
人にも長所短所はあって
それは「多様な個性」なだけで
どんな自分になりたいかも多様でいい。

自然に生きているから
やれているから

悩むことがあるのもまた
その一部


イチゴにはイチゴにそなわっている栄養価があり、
イチゴのいちばんおいしい食べ方がある。

豚肉には豚肉にそなわっている栄養価があり、
豚肉のいろんなおいしい食べ方がある。


「いろんな」や「いちばん」を楽しんで

それぞれのままで。


それでいいの。




posted by Kaoru at 08:28| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする