2017年08月10日

こだわっていないということは「そうなれている」から

一昨日
瞑想したからか
あんな記事を書いたからか


本当に
その心(私は幸せ、豊か、愛されている、などなどの心)で生きていると

「そのようなこと」がたくさん起きて

逢って間もないのに
どうしてここまで考えてくれるのだろう?
と思うくらいに親切で
自分の仕事に妥協がなくて

全力でフォローしてくれる。
それが、仕事、と言ってしまえばそうなのだけど

私には
涙が出るくらいありがたくて

昨日も今日もまた
しみじみと
「人に恵まれているなぁ」と感じることがあり・・・


この多発っぷりには
本当に感謝しかなくて


過去、
そうなりたいがために
いろいろとやっていたころには

「期待」ありきで

下心(笑)の方が先で

でも
その心では

やってもやっても
なんにもならなくて
もちろん、感謝も浮かんでこなくて
(だって、その通りにならないから ^_^;)



あるときから


もうどうでもいいや


ぜ〜んぶ
かなぐり捨てて

それでも
私は私の生きるようにしかならないと

できる範囲で
やれることをがんばろうと
(折れそうな時だってもちろんあった)

ただひたすら
何でもかんでもありがたいと
感謝しかないと
暮らしていたら

それが普通になって


そうやっているうちに

いいとか悪いとか
幸とか不幸とか

そんなことは
どうでもよくなってて

気づいたら

幸せの中にいて


期待に反して
こだわらないようになったころに

そうなれていた
ということに気づいて
(もう「欲しい」気持ちがないからね 笑)

やはり

「自分の在り方・生き方」しだいなのだなぁと
これまた
しみじみと感じて。


tulips-52136__480.jpg



あ。
でも、今の自分が思う、「こうなったら素敵だなぁ」はたくさんあって。

それも
当たり前に現れると信じられていて。
(そうなってもならなくても、どっちでもいい、の方が近いかな 笑
いずれにしても最善だから)

穏やか。


幸せだな〜と
思っていると

幸せなことって
どんどん見つかって
(どんどんハードルが下がっていくのか? 笑)

風ひとつ
雲ひとつ

花ひとつにも

嬉しくなれて

そういう小さなことに
感度が増すことで

実は幸せって
こんなにたくさんあった、と気づき・・・

あれもこれも幸せだった、と気づき・・・


そうなってみると

幸せを受け取ってなかったのは自分だったと気づき・・・

形は違っても
表現は違っても

実はみんなが
善意のかたまりだって気づき・・・


全方位しあわせ


おめでたいような
本当にそうなのか?と疑いたくなるような話かもしれないけれど

やっぱりそうで。


自分が行動を起こすのが先。
幸せになるのが先。


それは

もともと実はすぐそばにあった、
違うと思ってたけど、それは幸せということだった、

あらゆる体験が
すべて幸せへと続いている、

と気づいていく課程とも言えるんだ。




posted by Kaoru at 10:10| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

それでも立ち上がれる

なんのために・・・

時々
虚しくなることがあったとしても

「自分の精一杯」を
受けとめてもらえなくても
平気で流されても
評価されなくても

それを、やりすぎて
疲れてしまったなら

少し休んで
心に栄養をあげて


また
立ち上がろう

立ち上がれる。


投げ出してもいい。

きっとまた
元気がたまったら

やろう
と思い直すときがくるから。



statue-2428786__480.png



何度も掲載した言葉。


ふたたび
自分を奮い立たせるために
刻みつけます。



あなたの中の最善のものを
マザー・テレサ


人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

『最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
 結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
 あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。』




posted by Kaoru at 00:08| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

この世界では、ただひとつだけが正しいのではない。

心ない言葉に傷つく必要はない。

その言葉は「相手の価値観の中」から生まれたものにすぎない。

その一言で「あなたの価値」が決まるわけではない。


それぞれに
いろいろな設計図があるから

自分で人生をつくっていこう
と言っても

何をしていいのかわからない人も
自分では決められない人もいる。

そういう人は
夢を追いかけている人を通して(応援することによって)
自己実現を果たしたり

人との関わりの中で自分を見つけていったりする。



「思いやり」と言っても

「思いやり」を表現するのには
様々な形があって

相手のために「何かしてあげる」ことが思いやりだと思っている人もいれば
(わかりやすいしね)

「何もしない」思いやりもあるという人もいる。


見守る、好きなようにさせるような
思いやりは
わかりにくくて
時に(わかりやすい方を好む人には)
「冷たい」とか「思いやりがない」とか言われることもある。

わかりにくい方を好む人は
わかりやすい方を
「押しつけがましい」とか「よけいなお世話」のように感じたりすることもある。


でも
それぞれの中で
確かに
それは
「思いやり」として存在していて

どちらを好むのか
ただそれだけのことだったりするので


どちらかが正しいということなどないので
(自分の立場から、どちらかが正しいと思いがちだけれど)

たとえ
相手が
自分の立場から正しさを主張して
あなたを否定してきたのだとしても

必ずしも
片方が正しいということなどないと知っていると

少しは楽になれないだろうか?

そこでムキになって
反論しなくても、自分を主張しなくても(不毛)


それはそれ

自分は自分


それぞれは違う

と思っていれば
(自分には別のいいところがある、と知っていれば)

落としどころが
見えてはこないだろうか?

自分が傷つくのを
防ぐことができるのではないだろうか?

それぞれの善いところは違う。
表現方法も違う。

私には私のいいところがある
と認めてあげてほしい。


ひとりひとりが
求める愛情の量と質は違う。

何を求めているのか

何を求められているのか

理解しあえれば

もう少し

違った共存に
ならないだろうか?


相手に見るものは
自分の中にあるものだったりする。
自分がどんな一面を観ているのかだけだから。

自分が見ている一面が
相手の本質とは限らない。

思い込みで見つめることがほとんどで

だから面倒な(わかりあえない)ことになる。

個人は深遠で
わかりきることなど
できないのかもしれない。


であれば

その人の
よい面を探すのが
なによりの
解決法だと言えるのではないだろうか?


人はいくらでも
変われる。

善い面を見つめれば見つめるほど

浮かび上がってくるもの。


それでも
嫌だと感じることが多いのならば

「関係性」を考えた方がいいのかもしれない。



離れてはじめて見えてくることや
離れたことにより相手の態度が変わったり
自分の心にも余裕ができて
優しくなれたりすることもある。

この世界では、ただひとつだけが正しいのではない。
あらゆるものが用意されているところだから。

どれを使ってもよくて
どんな体験をしてもよくて

それを通して
自分はどう在りたいのか

それが
問われている。


precious-1199183__480.jpg




あなたは
他者に
どんな一面を見出だしているのだろう?

それは
そのまま
自分を表している。


他者評価は自己紹介(笑)


自分の品格が浮かび上がります。




posted by Kaoru at 06:57| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

総てを受け入れる

自分の人生を
総て受け入れるとき

ストーリーは始まる。


pray-1639946__480.jpg



本当の人生が始まる(本当の自分を生きる)のは、それから。


口でどんなに
わかっているようなことを言っても
頭で理解していようとも

それが
できているか

どんな言葉を発しているのか

どう行動しているかで


すべては決まる。



一見受け入れられているように見えても

本当の心が反発していては

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるかのごとく
事態は動かない。


受け入れているようで
受け入れられていない

ということも
よくあることで
(全力で目をそむけているから見えない)


時に
饒舌になるのは

必死に
自分をごまかすためだったり

取り繕うためでもあったり


・・・でも
それでは

何も変わらない。


本当の自分に向き合うのは
痛みを伴うこともある。

認めがたいものを見なければいけないこともある。

だから
なかなか見えないし
認められない。

でも
それを受け入れてこそ
(ホントはこうしたかった。こうでありたかった。でも、今はこうだ。という、そのギャップも)

今の自分を丸ごと受け入れて
それでもいいと赦して

この自分で生きていく。
と覚悟して(受け入れて)

やっとストーリーが展開していく。


自分や
自分に起きていることを
否定したままでは

どこか別のところに逃げ場(都合のいい理由)を探しているのでは
(こんなはずじゃなかった、と思ったままでは)


進めないようになっている。



でも
いつでも
リスタートできるようになっている。

遅いということはなく
ただタイミングがあっただけ。


すべての魂に
それぞれの計画があるのだと

自分には自分の選んだ道があるのだと悟り

ただ
自分の道を行く。

今あるものに満足(感謝)して
生きていると

そのような人生になっていく。


「望む」のはそれからの方が
ずっと走りやすい。


「受け入れる」
「覚悟する」
「逃げない」

どれも同じことだけれど


その心境になって
胆が据わると


とたんに景色は変わる。


いとおしさがあふれてくる。


全力で否定していた自分を受け入れたから。

大概のことなら受け入れられるようになる。


本当の自分をまっすぐ見つめる強さが

あなたを美しくする。



angel-2403401__480.jpg




そんなあなたの上に
奇跡は舞い降りる。




posted by Kaoru at 00:03| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

最初からあるから、安心して。

DSC_0604.JPG


様々なことが
入れ替わり立ち替わり起こるように見えるけど

DSC_0606.JPG


時に
曇って「見えない」と
感じることもあるかもしれないけれど

DSC_0598.JPG


答えは自分の人生の中にある。
今、目の前にあるもの、それ。

DSC_0599.JPG


近すぎて当たり前すぎて
わからないかもしれないけれど

これからどんな人生にするのかは
今の自分の在り方が影響していく。



あらゆるレベルの中に(時空を超えて)

見つけることができる人もいるけれど

自在に往き来できるケースの方が珍しいのかもしれない。

多くは
感じることもなく

普通に過ぎて行く日々。


けれど、それでもいい。


この現実を生きている

それは
みんな同じ。

そうとは知らなくても

起こることは起きているし

なることはなるようになっている。

誰もが

それぞれに
スペシャルな体験をしている。


その現れ方が違うだけで

そこにさほど大きな差はない。


どんなに輝いて大きく見える存在も
特別に見える人も

同じ「ヒト」で


違うとすれば

ただ自分に
素直に生きて

自分に授けられたものを愛して

それをひたすらに磨いているだけなのかもしれない。
(だから輝いて見えるのは当然)


自分にないものは磨けない。

あるから磨ける。


自分にないものを
「あの人」は持っていると思うかもしれないけれど
(そして、そういうものほどよぉく見える 笑)

「あの人」が持っていないものを
自分は持っている

ってことも
よくあることよ?
(それはなぜか見えにくい 苦笑)


初めから
授かっているものはなんだろう?

自分の中にあるものは?


art-nouveau-2388453__480.jpg


誰でもが持っている。

「誰でもが持っている」と知っているヒトは
わざわざ
それを見せびらかすこともない。

自分のやることをわかっているヒトは
おおげさに
騒ぐこともない。


ただ静かに
それを愛している。

それぞれに違うと
知っているから。




posted by Kaoru at 22:26| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

マイナス・ネガティブにも優しく

どうしても

マイナス・ネガティブは嫌われがちですが

プラスかマイナス
どっちかに片方に留まっている
ということはなく

どんな人生の中にも
いい(と感じる)こともあれば
悪い(と感じる)ことも起きてきます。
(自分の意識が変わるだけで、ずいぶん生きやすくはなりますが)

ポジティブだけ、というのも
実は偏った体験で

ポジティブなことも
ネガティブなことも
両方あるから
自分が中心にいられるようになります。


ポジティブも
ネガティブも

そんなふうに
使っているだけで
ただ在るだけのもの。


いい、悪い、楽しい、つらいと
感じているのは自分。

決めているのは自分なんです。



時に
体験がつらすぎて
どうにもならなさすぎて

神も仏もあったものか!!
と思ったり

スピリチュアルなんか
何の役にも立たない!
と思ったり

いい方に信じる自分、
それでも善き人であろうと努力してきた自分を
バカバカしく感じることもあるかもしれない。


起こることが起こるときというのは
たいていコントロール不能(人智を超えているもの)で
抗いようもなく
落ち着く(受け入れる)までには時間がかかったりするかもしれない。


何を信じて(信じなくても)
どう生きるか(そんなこと考えなくても)は自由だけど


けれど
やっぱり、心が戻ってくるところはあって


そんな行ったり来たりを繰り返しているうちに

ただ淡々と
やることをやる
やりたいことをやる
生きたいように生きる

ささやかな楽しみに心を染めて
何気ない日常に喜び
たくさんのことに感謝して
生きるようになってきます。

そして
生きているだけで
生きていることそのものが既にスピリチュアルだと気づく。


それそれにいのちの流れがあって
それはその人だけのスペシャルな人生で

すでに守られているし
すべては持っているし

そのいのちの流れに任せて大丈夫だと
信じられるようになって

今、自分、そのまま
を生きるようになるのです。


何があろうとも
どんな人生を設定していようとも

いつも
最期までの時間を
どう生きたか・生きたいのか
それだけが残る。


そのうち
すべての体験を愛せるようになります。




posted by Kaoru at 22:01| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

選択する

目の前にやって来たことに

自分が大きな○を出せていれば、OK。

どんな状況であっても

そこから光を見出して
自分が納得していればOK。

納得していないのならば
納得できるまで工夫してみる。


運は善行を吸い上げて
ゆっくり育つ。


自分の日々の選択が
自分の人生を創っていく


上を向けば上へ
下を向けば下へ

世界を美しいと思えば
美しくなり


愚痴を吐けば
愚痴に染まる


あなたの心はいま
何を映し出しているだろうか?

あなたの目に映っている世界が
口から出る言葉が

あなたのものの見方そのもの。


世界はあなたに優しいだろうか。




posted by Kaoru at 06:27| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

生きているだけで

魂レベルからみるとアリだけど

三次元的にはナシ

そんなこともたくさんある。


この世界にはヒトが決めたルールがたくさんあって
それは
多勢が規律を守って心地よく暮らすための知恵でもあるのだけれど


魂レベルからみると

それが窮屈

ということもあるだろう。


不自然な縛りも

あるだろう。


でも
この世界に順応するということは
それが強みになることもある。


マナーとは
周りにいる人と楽しい時間を過ごすためのもの。
「いいマナーとは相手への敬意のあらわれ」。

生き方そのものがとってもスピリチュアル。

生きていること
そのものが
既にスピリチュアル。

そこに壁などない。

あると感じるのだとしたら
それは
「ある」と感じることそのものが「壁」になっているだけ。


「離れた」と感じている心が
そう感じさせているだけ。


「高次」もすでに
ここに同時に存在しているから。


ほんとは
高低どちらでもあり、どちらでもない。

心の在り方が
それにふさわしい現実をつくっているだけなのです。




posted by Kaoru at 08:56| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

それぞれの苦しみ

無能であること
それが悩みのタネ

という人もいれば

有能であること
それが悩みのタネ

という人もいます。


自分を「無能」だと思って悩んでいる人には

有能であるがゆえに悩んでいる人の気持ちなどわからないかもしれません。
イヤミにすら感じるかもしれません。


でも、確かにどちらの世界にも、
「悩み」は存在しています。


自分を「無能」だと思って悩んでいる人には、
そんなふうに見られたくない、
周りにそう言われたり、バカにされたりしてつらい、
などあるのかもしれません。

しかし、有能な人にも悩みはあります。
自分の努力で完成させたことでも
「あなたは上司に気に入られているから」など別な理由に置き換えられて
本来の自分を評価してもらえなかったり
やっかまれたり嫉妬されたり

貧乏には貧乏の
お金持ちにはお金持ちの

不美人には不美人の
美人には美人の

それこそ
いろんな条件で

幸せそうに見える(悩みなんてなさそうに見える)
正反対の立場の人でも


それぞれに悩みがあって。

羨ましく思っているあの人も
誰でもどんな立場でも
どっちでも一緒なんです。

「悩み」の中身は違うかもしれませんが、「悩む」という面では。



であれば、
お金があろうがなかろうが
美人であろうがなかろうが
有能であろうがなかろうが

悩まない人に「悩み」は存在しない
ただそれだけのことになります。


悩みをなくすこと、

それは、

悩まないこと」(笑)


・・・まぁ、こう言っても
悩むものは悩むのですが・・・

悩みがある場合には
「ある」んだから、
それをいっそ受け入れる。
あってもいいよ、と。

それでも生きていけるし。
いいところもたくさんあるし。と。

それ込みの自分を生きる。



「条件」など関係なく

幸せになれるんです。
決めれば、いつでも。一瞬で。

幸せになってもいいんです。

今すぐに。





posted by Kaoru at 12:12| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

あたたかさに宿るもの

高い波動

それは

優しさ

思いやり

など


愛しい対象に向かって
あふれてくる思いのような
あたたかいもの


それを自分にも向けてあげよう


それが流れれば
そこに
自然に
癒しや奇跡が起こる土台はできあがる。




posted by Kaoru at 21:18| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする