2019年01月06日

求める者から与える者へ

周りに求めるだけで

期待するだけで


過剰なその欲求があった頃は

誰も愛せず
愛されず
(愛されてはいたけれど、自分には見えず)


孤独で苦しかった



でも

自分の人生を
自分の思うように使うようになって

少しずつ信念も見えてきて
形になってきて

自分から
アクションを起こして

何も期待せずに(つまり、自分の人生を自分のものとして引き受ける)
やれることをやるようになって

ようやく
見えてきたものがある。


ちゃんと
愛は循環している

ってこと。


それは


まず自分が
愛の流れそのものにならないと見えないものかもしれない。


まずは

「飢餓状態」にあると知ること

それを
少しずつでもいいから

埋めていくこと。


気をつけないといけないのは

「欲しい欲しい」は
同じように「欲しい欲しい」人を呼んでしまうということ。


それは
あまりオススメできない・・・

なぜなら
幸せにはなれなかったから。


「愛の奪い合い」
なすりあい
責任転嫁しまくり
なじり合い

が止まらなかったからです(;´д`)

(欲しい欲しいもの同士だからね💦)



その負のスパイラルから抜けるには

やはり
自分が変わるしかない。


与える側へと。

あふれる側へと。

あふれるもの同士なら
感謝に満ちた世界にするのも夢ではない。


でも
難しいのは

「ない」と思い込んでいる者にとって
「与える」ことはとても苦しいことだということ。

「ないものはあげられない」、
やってもやっても報われない(と思い込んでいる)から。

だから
なかなかアクションに繋がらない。
(与える側にまわれない)


でもこの「ない(飢餓状態)」「報われない」にも
罠があって

自分の思う愛の形しか
受け取れていない
ということ。

「認められたい」過剰な期待があるため、自分の期待値を埋める反応を求めていること。
それが返って来ないと、自分に重要感を持たせられないこと。
おおげさに大切に扱われないと不機嫌になったりすること。
・・・などなど


そのため、
あふれる者から
「ない」と思っている者に与えることも難しい。

あげても
あげても
「ない認定」されるから。


自分のところに来ている「愛の形」は
いろいろあって


自分を満たしていくには

まず
そのひとつひとつに
自分が気づくことから始まります。


自分目線から

少し他者目線になること
とも言えます。

それが無理だというのなら

何でも
いい方に信じる
心の強さを鍛えていくことです。


相手を気遣う
目線を持つことです。


いま
大きな振り分けが起きている領域は
「大人の対応」ができるかどうかです。


こどもじみた感情的な表現のおしつけは
うまくはいかないでしょう。

バッサリ削がれて終わりです。

監視や糾弾、制限が
きつく感じられるかもしれませんが

それは
周りからの目線を意識した
冷静な客観力を養うため。
(つまり大人になるため 笑)


社会のために
自分をどのように使うのか。

どのような自分で在るのか。


広い社会の中で
自分の存在感を確かめるため。

そして
在り方を洗練させるため。


自分で自分の人生の責任を負い
自分の魂の役割を遂行するため。

社会の役に立つ
自分を創るため。


このように書くと
重たく感じられるかもしれませんが


少し他者目線になること

相手を気遣うことを意識して


今の自分にできることを
できる範囲でやることです。

心を尽くすこと
とも言えます。

それをやってこそ
自分の思う「反応」が返ってくるようになります。


愛し愛される世界に行くためには

そこに
自分を寄せていくことが大切なのです。

その努力だけは
必要なのです。



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posted by Kaoru at 10:30| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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