2019年05月07日

目の前は輝いているか

心に深刻な問題(心配事など)を抱えていると

目の前のことに集中できないものです。


私の場合は
逃げようも
解決しようもなく
ただ
向き合う以外に
他に術がなかったのですが


いつも
心の中は
重暗く沈んだままで


それは
とてもつらいことでした。

子供のころは
落ち着きがありませんでした。
忘れものも多かった。
話も聞かないし(笑)
勉強もできない。
不安定な心のあらわれだったのかもしれません。

目の前のことをやりつつも
目の前のことには
裏では、何かしら、いつも「理由」や「価値」などが必要で
その理由も価値も浅はかで

何を表現しても
ただの愚痴や批判にしかならず
(↑これは「わかった風」でしたね ^_^;)

重さにつぶれたものばかり。


それではダメだと
表現したいのは
こんなことではないのだと
いつもふりだしに戻り・・・
(でも、その時の自分にはそれが精一杯だったし、リアルだった。・・・未熟でしたね💧)


それができずに
長く沈んだままでした。

絶望したままの言葉が
誰を励ますことができようか。


苦しさの中でも
光るのは
「希望」や「心を救う言葉」

自分を立て直すのものだから。



そんな長い時間を抜けて


最初に感じた変化は

「普通に会話できる」ということでした。

世間話ができる(笑)


過去の私には
そんなことはどうでもよくて(失礼なやつ 笑)

なぜ生きるのか
なぜ生まれてきたのか

そんなことの
答えが死ぬほど欲しかったので

本をむさぼるように読み耽ったり

誰か(メンター?)を探していたり

不意に出会えた言葉を書き留めたり
それを反芻して何度も読み返し
心に栄養を与えたり

自分を立て直すのに必死で
(勝手に親の期待に応えようとしていたり、自分で「やらねば」と背負い込んだり)

目の前の現実を楽しむ余裕など
どこにもなかったのです。


世間話も
よーく感じてみると

そこに流れているのは「共感」で

ほんの少しの会話の中で
「わかりあう」を分かち合っているのだと

気づいたのでした。

あんなに欲しかった「共感・わかりあう」が
目の前にあるのに
全然気づかなかったね(笑)


私はまったく別のものを見ていて
「共感」できていなかったのですね。
「そこ」には居なかった。



目の前のことを楽しめるということは
幸せなことです。


それだけ
心は、心配事・悩み事に囚われておらず
豊かなのです。


確かに
「今ここにいる」状態は
他にエネルギーが散っていないということです。


どうすれば
エネルギーを奪う心の重しがとれるのか

とれない場合(魂の課題である場合もあるのです)は
その中で
光を見出せるのか



自分に力がつけば
どこでも生きていける。


まずは
自分を救うこと
自分を育て
十分に自分に力をつけることが

大切です。


自分を救ってあげてください。


世界が違って見えますから・・・

悲しくも
喜びに満ちた時間を多く過ごせますように。


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posted by Kaoru at 09:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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