2018年02月23日

「愛されたかったら愛しなさい」の意味

よくある言葉です。

「その通りだ」と思う人もいれば

「抵抗を感じる」という人もいると思います。



みんなに好かれたい

と言いながら

自分からは

なにもしない(・・・というと語弊があるかな。「ちょうだい」の姿勢、求める方が多いということ)
(あるいは自分がいいと思う、自分以外の何かになろうとする)



けれど
みんな(あるいは特定の誰か)に好かれたい

と言う。



方法は簡単。


みんなに好かれたいなら

みんなを好きになること。


みんなが好きになってくれるのが先ではなくて

自分がみんなを好きだから

みんなが好きになってくれる。

「絆」も、創っていくもの。
決して一方通行ではない。

あたたかい気持ちで接すれば
それは通じるし
ちゃんと
あたたかい気持ちが返ってくる。
(たまーに、行きっぱなしのこともあるけれど 笑。それは、気にせずに続ける。違うところから返ってくるから 笑)



みんなを好きだから
好きな人に
喜ばれたいと

自分から何かをする。


だから
みんなは喜ぶし

好かれる。

好きな人には
何かしたくなる。

それが循環しているだけ。


「かわいがられる」
「好かれる」

には
ちゃんと理由がある。


何もせず
待っているだけ
もらうだけ

とは違う。


そして
「好かれよう」として

そこだけを真似して
みんなに何かするのではなく

好かれる人は
自分がそうしたくてやっている。

「好かれようが」「嫌われようが」関係なく
喜んでもらえるのが嬉しくてやっている。


そこが大きく違う。


その気持ちを
受け取って
同じように喜んでもらいたいと思う人が

また喜びを返す。

とてもシンプルに
「喜び」で繋がっているだけのことで。


でも
それをあまり喜ばない人もいる。
「いい人ぶって」
「自分だけが正しいことしてる顔して」
「正義面して」
「押し付けがましい」

と受け取れない


(これは、わかりやすく伝えるための極端な例ですが)


これが愛される在り方だろうか。


私も過去そうだったので
よくわかるのですが(笑)

欲しがってばかりで
期待だけ大きくて

誰かのせいにしたり
僻んだり
素直になれなかったり
拗ねてみたり
思うようにもらえなくて
文句ばっかり(笑)


せっかく
善意と好意で
言ってくれてても

このように
ひねくれて
受け取ってもらえないのでは
「好き」という気持ちも届かない。


通じあう人のところへと行ってしまう。


自分に価値を感じられていないと

見栄を張って受け取れなかったり
自分を大きく見せようとして
変に張り合ってしまったりもする。


パワーバランスがおかしくなるので

自己肯定感が高く
バランス感覚のよい人は
違和感を感じるし

バランスがとれていない人は
投影したり
そこに引っかかったりして

何かしらの反応を見せる。

「凸」と「凹」がうまく噛み合って
プラスに働いて補いあい、
バランスよくなることもあれば


「凸」と「凹」がうまく噛み合って
それがマイナスに働くと
「共依存」になったりする。


潰し合いになるのではなく
伸ばし合いになることを祈るばかりですが


良い関係性を求めるのであれば

まず自分が満ちて
解放されていることです。

自分を磨くことです。


そのための
あえての「偏り」でもあるのです。

その「偏り」を使って
あなたは何を学ぼうとしているのでしょうか?


何を得ようとしているのでしょうか?
それは生涯を通じてのあなたのテーマとなりうる可能性のあるものです。


満ちたら、次へ。

充分に
自分に力がついたら

その力を何に使いましょうか?(*^_^*)


それを必要としている人は誰ですか?

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posted by Kaoru at 12:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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