2016年05月20日

秘して美しきもの

右手のやることを左手に知らせてはならぬ

聖書にある言葉だそうです。
称賛を得る目的で人前で公然と善行を利用するのではなく、

自分の右手がすることを左手にすらわからせないようにひそかに行われる善行のことを言うらしい。

(左手と右手の関係と同じくらい親しい人に対してさえ(人からの称賛や賛辞などの栄光を期待する動機で)、自分の善行について知らせてはならない、という意味でもあるらしいです)


仏教でも、

「陰徳(人に知られない、人に感謝されない善行)を積む」というような精神性を説いていますが、
(人にありがとうと言われる行為でも徳は少しだけ貯まるらしい。ありがとうと言われることによって、相手からエネルギーが返ってくるため、それで徳(エネルギー)を使ったことになるのだそう。陰徳は、誰にも知られず、ほめられずにする善行のことで、感謝されたりほめられたりしない分、エネルギーが丸々返ってきて、徳を貯めることができるのだそうだ)

宗教などとは関係なく、日本人にはあたりまえに美徳として善行は人知れず行うという美学のようなものがあるように思う(それとも、仏教的思想の影響があって日本人はそうなったのだろうか?)。


そこには、人の目を気にしないその人の真の美しさがあらわれている気がする。
自然に現れる行為には、もはや徳が貯まる貯まらないの判断すらないだろう。


それ以上に、
「人知れず」
「秘められたまま」をよしとすることには、ご神体が秘められているように、何らかの意味がありそうな気がしてならない。


誰の目にも触れない、思考にも触れないことで、そのエネルギーは純粋に保たれ、守られるような気もする。


大切なものほど秘められるのにはワケがある。




posted by Kaoru at 12:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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