2016年03月26日

動くとき。

常々、個人には個人のいのちの流れがあって、それに任せていれば大丈夫と信じているので、どうこうしろとは言わないし、起きていることにおいては、体験することが大切だったりするので、しちゃいけないともあんまり言わないのですが、私自身の過去を振り返ると、たくさんの言葉に救われたことを思い出します。

それは主に本の中にあったのですけれど、私はその頃、心底「理解者」を求めていました。

指針となる人が欲しかった。

自分で自分を持て余し、人生の師として誰か現れてくれないだろうかと心から願っていました。

願いは、叶いませんでした。

独りであがいて、もがいて、やっと心が落ち着いた頃、私はもう「理解者」を求めてはいなかった。

でも、折れそうな心を支えてくれる言葉が必要で
それはたくさん集めていました。

「言葉」が必要な時期もある。
はっきりと言ってほしい時もある。

おせっかいはやめようと決めているのに

どうしようもなく魂が動くときがあります。


それは、もう、自分の衝動に従って動くことにしています。

ご縁が触れることもあるのです。

多くは、そうとは気づかずに喋っていることでも、相手の中に残っている(あるいは何らかの刺激になっている)ようなのですが(人には言われるけど自分ではわからない(^_^;) 普通に喋っているつもりなので)、あまり自覚がありません。

でも、それらまるごと「ご縁」なのだと思います。

そうやって、何か不思議な流れにのって思ったことを思ったまま動くと、結果それが形になることもあって。

どうしようもなく魂が動くとき。

私は、過去の自分を癒しているのだと思います。


おせっかいなんですけどね(^_^;)

で。何ができるわけでもないのですが・・・


魂が動くときって、何か不思議なことが動いているんだろうな。と、勝手に思っています。




posted by Kaoru at 18:40| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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