

とは、私の口癖のように口からよく出る言葉なのですが・・・
「お任せ」
「委ねる」
・・・というと、「丸投げ」や「責任放棄」や、極端な場合は「諦め」のように、「運任せ」「人任せ」のように、人の目には映ってしまいがちだけど・・・
そこには、実は
「信頼する(なまぬるいな、確信する、くらい言ってもいいな)」
「覚悟する」
という、何があっても「受けいれる」と決意する、毅然とした心境が必要なのです。
およそ、言葉のイメージから来る「依存」とは真逆だよね。
信じていなければ任せられないし、任せた結果、どうなるかを受け容れられないと、やはり、任せるに至らない。
必ず何とかなる、最善のところにおさまる、適切なことが起こる、を信じられているから、超然と「お任せする」と言える。
人智を超えた計画・采配を信じているからこそ、自分でコントロールすることを手放せる。
結果、やはり最善のことが出現する。
・・・というか、既に、手放した時点で
他者が「いい」「悪い」と判断しているところでも
自分にとっては「自分には最善」と思えているのだろうな。
よくても
悪くても。
自分が「最善」と思っていれば、それは、「最善」ですよね。
そう。
委ねるって、覚悟と受容が必要なのです。
【諦観】
本質をはっきりと見極めること。
正しく、完全に知ること。
ものごとを、その本質まで正しく完全に知ることをいう。
あきらめ、悟って、超然とすること。
・・・あきらめるって字を使っているのが、ある意味おもしろい。
諦めるって、何となく挫折感漂う響きだけれど、「手放す(自分でコントロールするのをやめる)」ことにも通じる気がする。
不動の境地に至るには、いったん、手放さないといけなくて
本質を正しく完全に「知る」ことで、意識は「悟り」に近いレベルに達するんだな。
「知る」から、探さなくなる。
落ち着く。「超然」。
「委ねる」
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