後世、冷静な目で、安全な場所でその行為を賞賛することも批判することもできる
ただ、当時、危険の中で、自ら・そして大切な家族に及ぶかもしれない命の危険に直面してまで
その選択をし得たか
その時の決断を想うと、どれほどの葛藤と向き合ったのだろうかと言葉にはならない感情が浮上してくる。
簡単に言葉にできない。
今現在賞賛・尊敬されていること
その事実が当時、本人・家族にとって、どれだけ役に立ったことか。ほとんど影響がないだろう。
もちろん、随分後になって自分の行為が賞賛されるなどという期待もほとんどないだろう。
その時行われたのは、苦境の中、ただ、「自分が自分にとっての真実を貫く」
その決意実行だけだったのではないか
渦中の本人にとって、決して楽ではなかった選択だったと思う
肉体的にも精神的にも
それでも独りでもそれをやると決めて、最後の最後までやり続け
ギリギリの交渉・やりとりで守り通した数千人の命
結果、その行為をとがめられ退職
その時だけを切り取ってみると、自分の人生に起こったことは「辛いこと」にカテゴライズできるのかもしれない。
けれど、その現実を選択(予想・覚悟)してまで
守ったものは(当時誰に認められなくても)
今も燦然と光輝いている
その行為によって今を生きるわたしたちまでもが守られているような気がする
ご本人の談。
“私のしたことは、外交官としては間違ったことだったかも知れない。しかし、私には何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。私の行為は歴史が審判してくれるだろう”
今、誰が見ていなくても、大きな存在は、見ています。
自分の真実に忠実であること
それは、時を超えて報われる日が来る。
必ず、来る。
それが「いつ」なのかは、重要ではないんだ。
多数を前に、たった独り何かしたとして、それが何になる
求められてもいないのに、勝手にやって何になる
ひとりよがりだし自己満足ではないか
何も変わらない
「影響度」を考えると、そんなふうに気落ちすることもあるかもしれない。
でも、大切なのは、影響があるかどうかではなくて、
「独りでも、それをするかどうか」なんだ。
今を切り取って見ると、辛くて苦しいだけに思えるかもしれない。
でも、「自分を表現しようとして(自分の真実に忠実であろうとして)起こした行為」は、必ず宇宙に刻まれる。
誰にも理解されなくても、自分の志が消えることはない。
魂に灯ったあかりは消えることはない。
それは、いつか必ず誰かに届く。
どんなにささいに思われることでもいい(大きい・小さいは関係ない)
誰かがそれで喜んでくれれば、あなたはもうそれを達成している。
今、わたしたちにできることは、それを信じて今動くことなのではないかと痛感する
尊敬する人のひとり、杉原千畝さんのお話でした。
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