2015年02月15日

降伏

印象に残った宮司さんのお話。

福岡県筥崎宮の「敵国降伏」額についてでした。

これは、鎌倉時代中期の元寇(蒙古襲来)までさかのぼります。
その際、亀山上皇は伊勢神宮や春日神社、日吉神社などに参拝し、大元帥法も執り行いました。
そして「八幡へ御幸」(福岡市箱崎町にある筥崎宮 ← この神社は「敵国降伏(ごうぶく)」の神として崇拝されていました。楼門の正面には、醍醐天皇の直筆とされる「敵国降伏」の額が飾られています)も行い、「我が身を以て国難にかわらん(我が身をもって国を救え)」と敵国降伏の祈願をし、同時に日本中で「敵国降伏」の祈願が始まったのだそうです。

その、「敵国降伏」という言葉ですが、一見刺激的。

でも、その真意は。
宮司さんの説明が素晴らしかった。

単に、敵国を倒したい、という意味で使うのならば、「降伏敵国」と、降伏の方が先に来るのが正しく、それが、「敵国降伏」となっているのは、日本に来た敵国が、自ら引いていくようにするため・・・つまり、この国に来た時に目に映ったもの、穏やかで平和な土地、礼節を重んじる民、そうした在り方によって、敵国が攻める気を失くして自分の判断で引いていくように・・・そのようにして「徳」をもって収めることを祈念されたものなのだと言います。

何を甘いことを、という意見もあるのかもしれません。
綺麗事、机上の空論と言われようとも、私は、その心は大好きなのです。
そして、最後に光を放つ(人に届く)のは、やはり、その思いなのだと。

信じます。

実際、「徳を持って制す」のは、そうとうの精神力が必要なことと思います。

けれど、ただその波動を発し続ける

祈念・祈りの本質って、そういうことなのかもしれない。


posted by Kaoru at 13:46| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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