2014年10月04日

救いにならなかった言葉

過去、ホントにいろんなことがありました。

今、自分の過去を俯瞰して見ると、確かに、その時々で、支えてくれた人は確かにいたし、救ってくれる人がいたり、気づかされることもたくさんあり、その度に大きく変化し(願わくは成長し)守られ救われてここまで来たなぁと思えます。


依存心の高かった当時のあまちゃんな私は、何とかこの状況を劇的に変えてくれる誰かや何かが現れてくれないかなぁ、と願っていたものでした冷や汗

そして、甘えてた上に、「足りない足りない、もっともっと」だったかも冷や汗


今思えば、こんなに護られて、不思議なこともたくさんあったのに、

それらに見向きもしないで、どうしてあの人ばっかり、不思議なことがあって、激変して、幸せなの〜?

私なんて、誰にも護られてないんだ〜って、勝手にいじけてました(笑)


ドン底で八方塞がりだった時、

「今の苦労は必ずいつか役に立つ、それに感謝する日がくる」みたいなことを言ってくれた人がいました。

↑この言葉、過去、渦中の私には全く何の救いにもならなかったのですが(ごめんなさいあせあせ(飛び散る汗) でも、言ってくださったことには感謝しているんです。ホントに。)、
今思えば、やはり、その時、こう言ってくださった方には、これが精一杯の言葉だったのだと思います。

魂の課題は、それぞれなので、その方にも、私の問題を代わりに生きることはできず、どうにもできなかったんだろうなぁ、と。

今ならわかりますが、当時は、余計に落ち込んだものです冷や汗2

楽になりたくて話したのに、また闇の中〜台風みたいな。


これも今となればわかることなのですが、
わかってもらえなくて、理解者が欲しくて、とにかく誰でもいいから話を聞いてほしい、と、普段からあまり人には話さない私が、珍しく求めたことがありました。

でも、結局、誰とも繋がりませんでした。


苦し紛れに求めたのに、得られず。

最初の第一歩はここから始まったかもしれない。

やっぱり、私は、誰ともわかりあえないんだ(・・・という、思い込み冷や汗←当時の私には、死活問題くらい深刻に思っていました)。

諦め。

諦めて得たもの、「自分で自分の心を支えよう」

どうしたらいいのか、全くわかりませんでした。

心は相変わらず不安定で傷つきやすく、グラグラ。


でも、その間に、良書にたくさん出会いました。

むさぼるように読みました。

ここには、理解者がいる。

最初の三行を読むだけで、ホンモノ(自分にとって必要な本)かどうかがわかる。


私の成長に合わせて、繋がる本も変わっていきました。
読んでは、思索する。


少しずつ、少しずつ、大事に大事に育ててもらいました。

意識が変わると、出逢う人たちも変わっていきました。


ベストタイミングで、私は必要なものに出逢い、すくすくと育ててもらいました。


その過程で、必要なものは、全部集まってた。

そうとは知らずに、集めてた。

感覚としては、自分を喜ばせてくれるもの、何だか心惹かれるもの、好きなものを集めていただけなのに、

それらは、私を育み、支えてくれ、今は全部が役に立っている。


ある状況を諦める(やめる)と、新しい何かが生まれる(現れる)。


諦めは、新しいスタートでもある。



どんな言葉にも納得しなかった私の魂は、自分が本当に救われる言葉を見つけた。

それらは、誰かの口から語られるものではなく(わかりやすくやってくるもの・与えられるもの)ではなく、目に見えない力を信じて、自分で探さなくてはいけないものだった。


あの時、安易に与えられていたら、私は、ここまで成長できただろうか?


今でも、誰かを頼ったままではなかったか?

1度奪われて、与えられる。


それは、ただ与えられるよりも、私には意味のあることでした。

1度奪われなければ、私の中でそれは全く違う姿をしていただろう。


「苦し紛れ」が生んでくれるものは、とても大きい。


また、苦しみの中に居続けない(そこから動く・逃げる)ことが、新しい境地へと導いてくれる。

ただ、自分を苦しめるだけでは終わらない。

今、はっきりとそう言える。


「救われない」にも、天の計らいがある。



posted by Kaoru at 20:37| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: