2014年05月04日

奇跡の姿

やわらかな緑、明るい光、鳥の声

よい季節になりました。

風邪もすっかり落ち着きまして(笑)
ああ、良かった💨



自分でコントロールしようとしなくても、縁のある人、必要な人には、ちゃんと逢えるようになっている・・・

今回も、そんなことを感じさせてもらえる不思議なことがありました。


当の本人(呼ばれた方)は、特に虫が知らせたとか、直感が働いたとか、特別なことなどなく、「何気なく」日々の事をこなしていて、たまたま何年も経ってから連絡をとる用事ができたから、コンタクトをとったまでのこと、そんな、何ということはない、ただの日常のつもりでした。


ところが、連絡を受けた私たちは、ザワつきました。

何で、わかった?!
しかもこのタイミングで!?

実は全くの偶然だったと聞いて(逆にそのほうがすごいんだけど)、本当に全員ひっくりかえりましたよ。


こうして、奇跡の再会を果たすわけですが・・・


傍から見ていると、目に見えないチカラが働いて、奇跡が起こったようにしか思えないこの状況。

当の本人は、前述したように、事の全貌を知るまでは、全くその渦中にいるとは気づいておりません。


奇跡は、そんなふうに、日常の中に散りばめられています。

そうとは知らずに、体験している。

特別に何かをしようと思わなくても、ふと、やってみることの中に、ちゃんと宇宙の計画は織り込まれている。


あまりにも当たり前の顔をして存在している奇跡。

奇跡を体験したいのならば、「気づく」ことです。
奇跡は日常の中に当たり前の顔をして存在していると。

それを知っていることです。

そして、誰にでも普通に体験できるものなのだと感謝しながら、「奇跡は不意に訪れる」と何となく頭に置いて、奇跡を待ちすぎずに、日常を丁寧に生きることです。


ちゃんとその中に顕れます。

だから、安心していて大丈夫。
あなたの望みは、あなたの日常の中にすでに存在している。

必要なこと(人)は、ちゃんと現れるようになっている。

あなたの日常を生きていれば、それは、あなたの人生に姿を現すようになっている。


不意に顕れるから、奇跡だと思える。


そこに宇宙の計画、流れの一端を感じられる。


どこに流れているのだろう?
どこに繋がっているのだろう?


それは、わかりようがない(知らなくてもいい)もの。

わかってしまったら、それはもう「違う」ものになってしまう。
わかってもわかっても、それは果てしなく自分の内側でしかない。


わからないから、つかみきれないから、在り続けられる、不思議な世界。


大切なものは、目に見えなくて、理解しきれないようになっているから、いつまでも輝いていられるのでしょう。

わからないようになっている、わかりたい世界。
永遠に、わかりたい世界。


奇跡は、あなたのすぐ頭上に来ています。


あなたは、いつでも、奇跡に包まれています。

奇跡と奇跡が触れ合うと、お互いの存在を通じて、目に見えるようになり、「わかる」姿になるのです。


私たちの身体(存在)は、奇跡(あらゆる体験)を投影する、映写機のようなものなのかもしれません。

私たちの存在を通して、いろんなものがこの世界に現れることができるようになっている

奇跡は、私たちを通るから、現れることができるのかもしれない


だとすれば、ひとりひとり、総てのあらゆる存在こそが、「奇跡」と呼べるのではないでしょうか




posted by Kaoru at 11:40| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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