2014年01月21日

ほんとうの気づきとは

自分の中のすべての感情に「気づいて」おり、どれも選択可能と知っていながら、そのどれをも使いこなし、そして感情にのまれていない状態

「選択できる」
「使いこなせる」と知っているから、感情に任せて相手を傷つけるということがないし
いたずらに自分を傷つけることもない

プラスもマイナスも、使いようと知っているから、ただ使っているだけで、感情に支配されない。

だから瞬時に感情を切り替えられる。

感情に溺れない(感情的にならない、感情に振り回されない)。

感情も、使いこなせるもの。

そして、どんな感情を感じ続けるのかも「選択」できるもの。

どんな感情を感じている自分が好きですか?

「みじめな自分」?
「誇らしい自分」?
「悲しい自分」?
「楽しい自分」?

誰のせいでもない。
せいではないけれど、他者の存在を「借りて」はいるかも。
自分独りじゃ、感じきれない感情もあるから、他者の存在を借りて、いろんなことを感じようとしてはいるかも。

他者は、ただの協力者。

自分の世界は、すべての存在を借りて、自分で創りあげている。

なんだ。
全部自分で創ってた!
だったら、自分で好きなように書き換えられるじゃん!

「嫌な現実」も、今この瞬間から!

そうやって、自分で書き換え可能な現実と、魂が決めちゃってる現実がある。

たいていのことは、書き換えられる。
でも、どうしても、何をやっても、どうにもならない、それは、きっと、魂にとって必要なことなんだよ。

魂に必要なことは、受け入れるしかない。

腹をくくって。

「変えられない」のは、自分がダメだからでも、生き方が間違っているからでもない。

魂が決めたことは、

「なぜそのように決めたのか(この現象を使って何を学ぼうとしているのか)?」
「どうすれば、魂が納得してくれるのか?」
「この苦しみには、どんな恩恵が隠れているのか?」

を探したほうが、はやいですよ(*^_^*)✨
変えようとしても、変えられないから。
乗り越える(受け入れる)しかないから。


ちなみに、病と向きあって四苦八苦した私から言えること。

病にも、違いがあります。

ボディの病(体に負荷がかかったことで生じるもの)過労や生活のリズムの狂いなどからなので、メンテナンスしましょう、というサイン。動けなくなったりして、強制的に休ませられることも多い。

マインドからくる病(思考、想念、思いグセから生じるもの)身体に症状が出ていても、身体の病ではなく、心の方の病なので、思いの方を治すことで身体の症状もなくなります。
(身体が発しているサインなので、痛み止めなどで消してしまうのは、怖いと感じる私です ^_^;)
致命的なものというより、慢性的であることが多いです。そして思いグセに気づいて手放したり、カウンセリングなどで劇的な変化が出やすいです。
多くは、この部分を気にしている場合が多いと感じます。
「こじれ」に気づいて手放せた(自分を受け入れた)場合はそれでいいのですが、思いグセ、これまで何年もかけて固めてきた想念は、そう簡単には外れません(外せないでしがみついている、とも言えましょう)
何とか治そう、取り除こうとして、病気は何でも思いから、と考えがち。
でも。そうではないこともある。
(放置せず、病院へ行くのも大切です)
そう思ってしまうと、いたずらに自分自身を苦しめてしまうことになってしまいます。
治せないという現実には、自分が手放せていないものがあるからだとか、まだ何かに執着しているのでは?とか、自分のやり方が違うのでは?という自分へのダメだし、あげく人のせいや何かのせい(先祖が祟っているとか? 生き霊、浮遊霊、地縛霊の類が憑いているとか?)になってしまったり・・・
→原因を外に探している限り、何も変わらないのです。

まあ、たとえご先祖様や、家族、土地のせいであったとしても、
「ご先祖様の傾向、家族の性質、土地や環境の持つエネルギーを利用して、魂のカリキュラムに取り組んでいる(代々続く思念、家族の思いグセ、土地の持っているエネルギーを自分の魂の成長のために自分が利用している)に過ぎない」と、私ならばこう考えますが。

でも、どうやっても、何をしても、どうにもならないこともあります。
それは、次にあたります。

スピリットの病(魂が決めてきたこと、カリキュラムの一環で生じているもの)病であること自体が、魂にとって必要な課題になっているので、取り除く(治す)のは難しいかもしれません。先天的な疾患や遺伝などはこれにあたります。魂にとっての必要な学びなので、病と共に生きる、あるいは乗り越えていくことそのものが魂の目的であったりします。
一時的なものでも、魂が決めたタイミングがあったりもします(自分の生活リズムや思いグセなどには関係なく起こる)。そんな場合は、魂にとっての軌道修正を促されているのかもしれません。
気持ちの上で克服できていれば、病を乗り越えたも同然。一生病と向き合っていく、という精神力、前向きな思いの力を持つことができたとき、「病」を乗り越えられたことになります。プラスに生かしていくことすら、可能。
だから、その場合は、対峙しない、闘わない(つまり、受け入れる)、という姿勢も選択肢のひとつと知っておくと、楽になれるかもしれません。

どうか、自分で自分を傷つけることだけはしないで。
自分が悪いのではない。ダメなのでもない。周りのせいでもない。
ちゃんと、意味があるのだから。
傷つけっぱなしにしないでね。

自分に起こっていることが、どの領域で起こっていることかを知っておくと、「向き合い方」も自然に見えてくるものなのかもしれませんね。
治し方も向き合い方も違ってくる。




posted by Kaoru at 19:15| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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