2013年06月08日

本当に大切なものを守るために

身体は、常に魂を守っていてくれます。

密接に繋がっていると表現した方がいいかもしれません。

物質世界に生きる中で、魂を見失うと(本当はいつもここにあるのだけれど)、身体が本当に大切な所を守るために、別のところが一見悪化したりする場合があります。

自分を粗末に扱ったり、本質から離れたりすることで見失ってしまうことがあるのです。
心が疲弊して自分をかえりみる余裕もない。
ただ強いネガティブな感情に振り回されて逃れられない・・・
自分で止めたいと、変わりたいと望んでも、誰かや何かの為に身動きがとれない。

動こうとする自分をワガママ、自己中に感じてしまう・・・

そんな渦もあったりします。

問題から離れた今では、離れて正解と思うけれど、未だにそれがベストだったのかどうかもわからない。

他にもっと良い対処の仕方もあったのかもしれないけれど、当時の私にはそれが精一杯だった。

死んだ方がマシだと思うところまで行っても、意外と身体って丈夫なんだな(あっけなく死ぬこともあれば、なかなか死ねないこともあったり)・・・と妙に冷めた自分もいたりして。


そんなときは、幸福感なんて出てきやしない。

ただただ辛いだけ。


そんな日々から抜け出したくて、どうにかして楽になりたくて、模索した日々。

結局、どうすればいいのかもわからないまま、どうにもならないまま、自分で断ち切って新しい道を選択したのだけれど。


そんなときでも、いつでも、身体は生きることを止めなかったし、細胞は守り続けてくれてたし、新しく生まれてきてた。

この世界に、私が私のストーリーを生き抜くことを全うさせるために。

もっと素晴らしい体験もあるんだよ、と教えてくれるかのように、とどまらせてくれた。

本当にギリギリのところで、それでもこうして命を繋いでいてくれる。


あの時、出てきた他者への反発は、自分を生かすためのものであったとも思う。

自分を生きようとしていたのだと思う。

自分を殺して生きていても意味がないと、私の生命力が叫んでいたのだと思う。

今でも苦い。


けれど、すべてを包括して、今がある。


私にはわからなくても、私の魂と宇宙の秘密の約束があったのでしょう。

最期に、あぁ、そういうことだったのか、とわかればそれでいいのかもしれない。


その瞬間でさえ、魂は静かに寄り添って総てを見ている。


身体はこの世界に生きて、いろんなことを現実化させてくれるのを手伝ってくれている。

一時の夢を体感させてくれる。


それでも、やっぱり、生きているといいことがあるんだな、って思わせてくれる。


「悲しみ」はただ、「悲しみ」だし、「喜び」も、ただ「喜び」としてあるだけ。

いろんな感情はわいてくるし、わいてきてもいい。

ただ、そうあるだけ。


どんな体験をしようと、どんな感情がわいてこようと、魂は、いつも静かに総てを見守っている。

それが、本当の自分。


posted by Kaoru at 08:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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