2013年04月25日

人生の彩り2

昨日の続きで、番組は2部構成になっており、後半は格安航空チケットを取り扱うH.I.Sという会社のお話でした。
その会社の創設者は、夏には野山でセミやカブトムシなどを追いかけるような活発で好奇心旺盛な少年で、 一度疑問が湧くと、確かめずにはいられない性格だったそうです。
高校生になった彼は、さらに外の世界を見てみたいと思うようになり、親友と一緒に紀伊半島を自転車で1周する旅を思いつきます。 地図を読み込み、綿密にルートを決めて、意気揚々と旅立ったのですが、実際に旅に出てみると、頭で考えていたのとは大きく違い、想定外の出来事の連続ばかり。その時彼は、頭で考えることと、実際に体験することでは全く違うことを身を以て知るとともに、旅に出なければ見ることのなかった風景や出会うことのなかった人々とのふれ合いを通して旅のすばらしさにすっかり魅了されます
そんな子供時代を送った彼が起こした会社が、海外旅行を身近なものに変えてくれた格安ツアーや航空券を販売する旅行会社H.I.S.でした。現在、海外旅行業界トップの売り上げを誇る企業なのだそうです。
今となっては日本は年間1850万人が海外旅行に出かける旅行大国となりましたが、やっと日本人が自由に海外を旅できるようになったのは、およそ50年前なのだそうです。
それ以前はビジネスや留学など、目的がなければ海外に出ることはできませんでした。
さらに、旅行が自由化された後も、つい30年前までは海外旅行はとても高額で、庶民には高嶺の花でした。

今から34年前、高校を卒業したばかりの彼は当時まだ珍しかった海外の大学への留学を決意します。
行き先として選んだのは、ヨーロッパの中心に位置しているドイツなら、他の国に旅行に行くのに便利だという理由から、急成長を遂げていた旧西ドイツ。
彼は留学費用を親に頼ることなく、新聞配達やデパートの配送のアルバイトで工面することに決めます。
そして、高校卒業から3年、ようやく資金も貯まり、いよいよ夢は実現の手前に。
1970年当時、普通のルートでは、日本からドイツへは片道で60万円以上かかったのだそうです。
彼は、せっかく3年間かけて貯めたお金ですから、渡航費用は少しでも節約したいと思い、どうにかドイツまで安く行ける方法はないか探したところ、10万円あれば行けるルートを発見します。
まず、横浜から船で旧ソビエト連邦のナホトカまで行き、そこからシベリア鉄道に乗ってドイツに入るというルートで20日ほどかかる道のりですが、費用を計算してみるとずっと安いのです。
念願かなって(しかもローコストで)ドイツに渡った彼は、初めての異国で青春を謳歌し、見聞を広め体験を深めていきます。
やがて半年が過ぎ、学生生活にも慣れてくると、近隣諸国に旅行に行く費用を稼ぐために、海外出張でやってきた日本人ビジネスマンや、観光客を相手に通訳やガイドのアルバイトを始めます。
そんなある日のこと、通訳のアルバイトの後、仕事で来ていたあるビジネスマンに食事のガイドを頼まれます。
当時はインターネットがあったわけでもなく、観光ガイドも充実していない時代で、日本からくるビジネスマンは仕事が終わった後に食事やお酒を楽しめるお店の情報を知りませんでした。
そこで、日本人観光客やビジネスマンを相手にしたナイトツアーを思いつきます
彼はドイツらしさを楽しめる店を回り、割引を交渉します。その結果、彼の計画したツアーは大成功をおさめます。お客様は喜び、お店は繁盛、彼自身も旅行のための資金を手にすることができたという、関わる全員に喜んでもらえる計画でした。 みんながハッピーになれるなんてこんな素晴らしいことはないそして何より嬉しかったのは、日本から来た人に海外でしか体験できないことを満喫してもらえたことでした。
こうして手にしたお金で、彼はドイツ留学3年の間に、世界50カ国以上を旅し、異国の人々とふれ合い様々な経験をしていきます。それは、彼にとって、なにものにも代え難い大きな財産となります。
その後、彼は25歳で帰国しますが、旅仲間との交流は続いていました。
しかし、彼らと必ず話題となるのが、日本の高額な航空運賃のことでした。
1970年当時、日本では旅行会社同士の競争がほとんどなかったため、航空券はほぼ一律の価格で、他の国と比べると驚くほど高額だったのです。
東京からロンドンの運賃は、日本で手配すると約70万円。 ところが、同じ路線がヨーロッパでは半額で買えたのです。
これでは日本の若者は、海外へ行くことができない、と強く思った彼は、自分で安い航空券を売ることを決めます。そして今から33年前、彼は雑居ビルの1室を借り、旅行代理店を開きました。後の『H.I.S.』の原点でした。当時社員は自分とアルバイトの2人だけ。机2つに電話1本からのスタートでしたが、大きな夢が動き出した瞬間でもありました。
早速、彼は航空券を仕入れるため、航空会社に連絡を入れます。
ところが、旅行業界には航空券を仕入れるための独特なシステムがあり、人気のある航空会社は、大手旅行代理店の他に、ホールセラーと呼ばれる問屋にも航空券を卸すため、とても売ってもらえそうな対応ではありませんでした。彼の経営しているような小さな会社は、この問屋から航空券を仕入れる他に方法がありませんでした。でもその場合、中間手数料が上乗せされてしまうので、結局高くなってしまうのです。航空券を安く売るためには、航空会社から直接購入しなければなりません。けれど、無名の会社ではそれは非常に困難なことでした。
そこで、比較的マイナーな航空会社から安く仕入れたり、これまでの体験から、海外発着の便と日本発着の便とを組み合わせてなんとか料金を下げようと試みます。
さらに、彼はオフシーズンの団体のチケットなら買えたため、それを安く売り出すことにしたのです。
正月やゴールデンウィーク、お盆など、旅行客が集中する時期の航空券は、全て大手代理店に行き渡っていたので、あえてオフシーズンの団体チケットを仕入れたのです。
彼は、元々安いオフシーズンの団体チケットを他社の半額でバラ売りし始めました。
それが現在の代表的なスタイルでもある、格安航空券誕生の瞬間でした。
これなら、お金がない学生にも、有意義な体験をしてもらえる。むしろ、学生こそ、いろんなところへ行って体験を深める方がいい!
これから社会に出ていろんな体験をするであろう大学生に利用してもらいたいと、大学の掲示板にチラシを貼って回ったりなど動いたのですが、半額チケットは思うように売れませんでした。
海外旅行自体がまだ日本に根付いていないことが主な原因だったようです。
それだけではなく、他にも大きな問題がありました。
格安航空券は、元々団体用のチケットでした。
利用客は個人で申し込んでも、旅行の際は団体の一員ということになります。
そのため、出発当日に彼が空港でまとめて受付をした後、一人一人にチケットを配るという方法をとらざるを得なかったため、当時は通常の半額で航空券が買えるというだけでも信じがたく、それに加えて店は小さな雑居ビルの中、航空券は空港に来るまで渡せないという状態では、誰もが騙されると思ったのです。
状況はひと月たっても、ふた月経っても変わりませんでした。
日本の若者たちに世界を知ってもらいたい! そう願う彼の前に大きな壁が立ちはだかっていました。
全く流行る兆しのない旅行会社。
それでも、たまに来客があると嬉しくなり、彼は旅行について熱く話し込みました。
会社設立から3か月が経過したころ、彼の話に感銘を受け、格安チケットを買ってくれたお客様が旅行から戻り、彼のもとを訪ね、旅行の思い出について喜びを隠せない様子で話してくれました。彼は、熱く語ってくれるお客様を見て、ドイツでナイトツアーを行った時の喜んでくれた人々の顔を、その時感じた何とも言えない達成感、喜びを思いだしていました
彼は旅行会社にきたお客様により熱心に接するようになりました
あるとき、会社を辞めて自転車で海外を回ってみたいけれど、踏ん切りがつかず迷っている、というお客様が訪ねてきました。
すると彼は、異文化に触れることで世界観が大きく変わること、そういう体験はしておいたほうがよく、必ず後の人生によい影響を与えてくれるだろうことなど、自分の思いを熱く語りました。
その言葉から思いきって海外旅行に出て行った人たちの中には、帰国した後、会社を訪れ、旅の土産話をする者も少なくありませんでした。そして、彼はそのことを何より喜びました。
やがて、旅好きの人々の間で、彼の会社はちょっと他の旅行会社とは違う、と噂は広がっていきました。口コミは口コミを呼び、設立から半年後、店は軌道に乗り始めたのです。
さらに、忙しくなった会社をサポートするスタッフの中には、以前、彼に勧められ自転車で世界を回った青年もいました。
最初の頃、この会社では人を募集していなかったそうです。
彼の思いに共感し、そして旅に出て感銘を受け、自らここで働かせてほしいとの希望で集まった旅好きの人たちによって成り立っていたのだそうです。
そんな中、彼は若い人たちにインドに行ってもらいたいと考えていました。留学時代、4カ月間インドで暮らしたことがあり、大きく人生観が変わったので、若いときにこそ、その独特の文化を感じておくべきだと感じていたのです。
そこで、自らの経験からインドへ安く行けるルートを見つけ出すと、通常の半額で売り出し始めます。
ツアーの名は『インド自由旅行』。 馴染みのない国だけに不安に思うお客様も多かったそうですが、何度も説明会を開き、安全対策など、様々な情報を伝えるなどの工夫をしました。
こうした努力が実を結び、自分探しの旅として若者を中心に空前のインド旅行ブームが巻き起こったのです。
ところが、チケットの入手先である航空会社が突然取引に難色を示すようになります。格安航空券は、日本の旅行業界を根底から揺さぶるような存在だったため、彼の会社との関係に神経質になり始めていたのです。
チケットを売り渋る航空会社は日に日に増えていきました。このままでは、会社が潰れてしまう。
途方に暮れていた時、サンノゼ便だけが売れ残っていたという話を聞いて、アメリカの地図を調べると、サンノゼは、アメリカ西海岸にある中規模の都市で、日本では知名度はなく全く人気がありませんでしたが、旅先として人気のあるサンフランシスコへバスで1時間で行ける距離にあることがわかり、赤字続きのサンノゼ便のチケットを仕入れます。こうした努力が実り、サンノゼ行きのチケットもまたまた空前の大ヒットとなりました。
彼のアイディアで全く売れなかった路線が人気の路線に大変身したのです
すると、航空会社も彼に一目置き始め、人気路線のチケットをまわしてくれるようになりました。
ついに、お客様だけではなく、航空会社から信用も勝ち取ったのです。
その後もH.I.S.は次々と新しい旅の形を提案していきます。
こうして日本人の海外旅行者を飛躍的に伸ばす原動力になっていきました。
さらに、今から15年前には、格安航空の先駆けとなるスカイマークエアラインズを就航します。それは、旅を通じて日本人の意識を変えたいと思う、彼の新しいチャレンジでした。
こうして躍進を遂げたH.I.S.は、2005年には海外旅行取り扱い人数で国内トップになりました。
世界を体験して得る感動を身近なものにしたい、そんな彼の夢は、大きく実を結んだのです。
しかし、そんな絶頂期直前の2004年、彼は53歳にして社長職を辞任します。
新社長にバトンを渡した後、4年後にさらに当時まだ40歳だった人を新社長に抜擢するという大胆な発表をしたのです。
会社を託された若き新社長には彼との間に忘れられないエピソードがあるのだそうです。
突然、明日からバリに行ってくれと言われ、まだ社会人1年めの新人に現地の全てを取り仕切らせたのだそうです。20年ほど前まで、バリは日本人に全く知られていませんでした。しかし、彼は自ら旅した美しい自然に満ちた島、バリへの旅を提案しようと計画します。
新人は、言葉もまったく話せず、いきなり現地に行かされるのですが、笑顔でたいていのことは通じると気づき、ひたすら笑顔で現地の人の信頼を得ることに成功し、バリ支店のオープンまでこぎ着けます。
その結果、バリは安心して旅行できると評判になり、日本人に人気のリゾート地となったのです。
こうして彼の思いは後の社員に受け継がれていき、現在、H.I.S.の海外ネットワークは5大陸142カ所に広がっているのだとか。その意思は、若手スタッフが提案するツアー企画にも息づいています。
モナリザなどで知られる、フランス・パリのルーブル美術館。年間800万人もの客が訪れるため、館内は常に大混雑しています。そこで誕生したのがルーブル美術館借り切りツアー!
また今年から、お金持ちのものというイメージの強いクルーズの旅を、6万円代という超低価格で提供するなど、H.I.S.の挑戦はまだまだ続いています。
そして現在、彼自身も今、長崎の巨大テーマパーク、ハウステンボスの再建にチャレンジしています。
10年前に、巨額の負債を抱えて経営破綻したハウステンボス。不可能とも言われたその再建を引き受け、黒字化へと導いているのだそうです。


スゴイexclamation×2の一言に尽きます。
この会社がこの世界に現れるのが当然であるような元型が、すでに彼の若いころに見えていることにお気づきでしょうか。
興味を持つこと、関わることで魂が喜ぶこと、ヒラメキと直感、開拓してゆく推進力。

今ある会社のスタイルが、そのまま自分の若いころに体験していたものであったということ。
当時、無名の会社だったからこそ思いついたこと。
そして、旅に対する、熱い思い。
皆が満足することであれば、それが成功しないはずはない。

熱い思いが、自分を、そして大勢の人を、動かしていく。

素晴らしい調和だと思いませんか?


posted by Kaoru at 13:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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