2012年08月28日

安心と保証

希望・願望を抱いては、それが叶わない・・・という体験が重なると、「私はダメなんだ」、「こんな夢みたいな事が私に起こるはずないんだ」と後ろ向きな感情も重なっていきます。
そして、それがいつしか「自分には起こせない」「あり得ない」という確信に変わっていく・・・

そして羨むだけの自分になっていく。

本当にそれでいいですか?


どんなに叶わないように感じても、自分には関係無さそうに感じても、あり得ないと思っても、それでもやっぱり、信じる力は大切です。


「それでも、信じる」


自分が信じる方が先なんだなぁとしみじみ思うのです。

愛する事も同じ。

よく、「愛されたかったら、愛しなさい」という言葉を聞きます。
愛が欲しくて欲しくて、愛されたくて、寂しくて、ただひたすら愛されたいと思っていた頃は、自分がしてほしいことをしてあげて周りに合わせてただひたすら与え続けて・・・
そうやって頑張っても、それでもやっぱり自分が欲しいと思う愛をもらえない・・・
そんなふうに感じていました。

そして、そんな時は、「愛されたかったら、愛しなさい」と言われても、これ以上どうすればいいの!?
もうスッカラカンなのに、自分が欲しくてたまらないのに、自分の中に無いものをどうやってあげたらいいの!?

・・・と思ったものでした。

今にしてみれば、やはり「愛する方が先」とわかるのですが、欲しくて欲しくてたまらないときは、どうしてもそれ以上は与え続けられない、という限界を感じるのです。

自分を愛する方が先、とわかっても、どうすればいいのかがさっぱりわからない・・・


「条件付きの愛」でしたからねたらーっ(汗)

「自分の欲しい愛」が返ってくるはずもないのですあせあせ(飛び散る汗)

求める事だけはしっかりしていたたらーっ(汗)

得られるわけがない。

自分が発した波動が自分に返ってくるのだから。


自分が発したものの土台(動機)が、最初から違っていたからあせあせ(飛び散る汗)

自分がして欲しいと思うことをやり続けた、って、はき違えていました。
独りよがりで、やってもやっても足りない。

足りない足りない、という渇望から得られるものは、「足りない」ということを味わう(体験する)事と、更なる喉の渇き、飢餓感げっそり

「足りない」を発しているから、「足りない」しか返ってこない(T_T)


勘のいい方はピンときましたね(*^^*)

「満ち足りている」
「幸せほっとした顔
「感謝ぴかぴか(新しい)
「私は、私が大好き黒ハート


それが源の「愛」と、足りない足りない、もっと欲しい、が源の「愛」の違い。

今、つらくても、しんどくても、何だかスッキリしなくても、

「それでも、信じる」


ホントはやりたいことがある。
でも、生活のためには今の仕事をやめられない。

そういう場合は、己を信じて一切辞めてしまって次へ!

・・・という度胸のある方は、どうぞ。

でも、そうする事で生活に支障を来たし自分が揺らいでしまうのならば、そういう思いきった手段は最後にとっておいて、まず今の仕事の中で、自分の夢に役立ちそうだなと思えるところを探して予行練習と思って頑張りながら、辞めても自分の心が不安定にならない程度のお金を貯めましょう(*^^*)
少しでも、自分に「不安」の要素を与える条件は排除しておくのです。
その不安が、自分のやる気と元気とエネルギーを奪ってしまうから。

そして、できる範囲で自分への投資を続ける。
来たるべき日のために、自分に力をつけておく。

それは、次のステージに進んだ時に必ず役に立ちます。

そうやって少しずつステップアップしていけばいいのてす。

次のステージに進んだとしても、次のステージなりの(変化しながらも)苦労も心配も、もちろん喜びもあります。

だから、今からせっせと、次のステージに向けて忍耐力を養う、クリアしていく方法を工夫する、などなど、思いつく事を試しながら、理想の自分になったときの自分に備えるのです(*^^*)


意味なく今のところには居ません。探せば、何かしら役に立つこと、希望・願望にリンクすることがあります。


そして不思議なもので、そうして割りきって、ふと心が軽くなった時に変化が舞い込んだりするのです。


忘れないで、「それでも信じる」こと。


posted by Kaoru at 08:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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