ものすごーく
欲しているのに
手に入れるのを恐れる
それは
そのポイントでつらいこともあったからなのだけど
だから
余計にこだわったりもするのだけど
とーっても困っていて
だけど、すごく発展していくところなのに
初めはその世界に入るのをためらう
どうやら
本当に欲しいもの(望んでいること)と
「恐れ」はセットになっているようで
でもそういうところこそ
がんばれる場所でもあり
底力を発揮して
報われるところでもあり。
だから
あなたが
すごーく困っていたり
とーっても苦しんでいたり
恐れていたり
避けていたり
(苦手に思うようなことでも)
実は
で────っかい宝ものだったりするんだね。
欲しいものほど
目指すものほど
簡単には手に入らないようになっている(;´д`)
もう一度
まっさらな心で
トライしてみよう。
本当はどうしたいのか
何を望んでいるのか
これまでの体験から学んだ心で
自分を知った上で
いろんなことを勉強して
気づいた状態で
まずは
自分が幸せになるために
トライしてみよう。
思う結果が出なければ
またそのとき軌道修正すればいい。
失敗を恐れて何もしないより
どんどんやってみた方が
豊かになっていく。
2018年05月31日
2018年05月30日
2018年05月29日
幸運は軽やかに
普段、何気なく使っている言葉
無意識の行動
そこに宿るものが
運命の鍵やチャンスをにぎっていることがあります。
運のいい人は
「波動」に気を遣っていることが多く
(自然にそれをやっている場合も多い)
運のいい人ほど
幸運になれると言われることを
どんどんやっている。
すぐに実践する。
やっている間に
心の使い方もわかってきて
多分
それが良い循環をつくっているのだと思う。
だからこそ
その波動をまとっているものは
幸運な人に選ばれていく。
少しでも波動を下げそうなものは
選ばれない(そっと離れていく)
たった一言が
少しの行動が
幸運を引き寄せることもあれば
遠ざけてしまうこともある。
他者を
周りを
環境を
社会を
批難する前に
自分の運命を嘆く前に
自分は幸運に好かれるような
言動を
生き方を
しているかどうか
振り返る方がはやい。
そして
ひとたび
下げていると気づいたら
それを引きずらずに
上げる工夫をしてみる。
それが
幸運のコツのひとつ。
無意識の行動
そこに宿るものが
運命の鍵やチャンスをにぎっていることがあります。
運のいい人は
「波動」に気を遣っていることが多く
(自然にそれをやっている場合も多い)
運のいい人ほど
幸運になれると言われることを
どんどんやっている。
すぐに実践する。
やっている間に
心の使い方もわかってきて
多分
それが良い循環をつくっているのだと思う。
だからこそ
その波動をまとっているものは
幸運な人に選ばれていく。
少しでも波動を下げそうなものは
選ばれない(そっと離れていく)
たった一言が
少しの行動が
幸運を引き寄せることもあれば
遠ざけてしまうこともある。
他者を
周りを
環境を
社会を
批難する前に
自分の運命を嘆く前に
自分は幸運に好かれるような
言動を
生き方を
しているかどうか
振り返る方がはやい。
そして
ひとたび
下げていると気づいたら
それを引きずらずに
上げる工夫をしてみる。
それが
幸運のコツのひとつ。
2018年05月28日
2018年05月27日
道なき道
『老子』第41章より
大方無隅
大器晩成
大音希聲
大象無形
道隠無名
大方には隅無く、大器は晩成し、大音は声希く、大象は形無し、道は隠れて名無し。
四角形をはてしなく大きくしていくと、四隅はないように見えてきて、それが四角形であることすらわからない。
大きな器は完成するまでに時間がかかり、それがどんな器になるのかわからない。
あまりに大きな音はかえってほとんど聞こえず、
きわめて大きな形をもっているもの(現象)は、ほとんど姿が見えない(認識できない)。
「道」(宇宙の摂理)もまた、無形無限のものであり、人智をはるかに超えたものであるがゆえに、知りようがない。
わかりきることなどなく
答えは
出せたら嘘なのかもしれない。
「縁」や「奇蹟」もコントロールできたら嘘なのかもしれない。
でも
それは
「確かに存在している」
たとえ認識できなくても
コントロールできなくても
起こるときには起こる。
それに出会うためにできるのが
宇宙のリズムに
魂の望みに
添っていること。
あるがままの流れに添って
日々を精一杯生きて
不意のギフトを喜べれば
それで充分。
そうとは知らずに
自分の道を歩いているものだから。
道の上にちゃんと奇蹟も幸運も
(もちろん不運やアクシデントも 笑)
あるから。
でも、どんなに不運だと思うことでも
ただそれだけではないことに気づくと
とたんに
奇蹟は身近なものになる。
当たり前に起こせるものになる。
あるがままを喜べれば
それは
幸せな人生。
世界は計り知れない。
知りきることなどできない。
その大きな世界の小さな一部に
どんな人生として刻むのか。
意味をつけるのは、自分。
決めていい。
意味のあるものにするのかしないのかは、自由。
自分次第。
あなたは
人生にどんな意味を見出しますか?
大方無隅
大器晩成
大音希聲
大象無形
道隠無名
大方には隅無く、大器は晩成し、大音は声希く、大象は形無し、道は隠れて名無し。
四角形をはてしなく大きくしていくと、四隅はないように見えてきて、それが四角形であることすらわからない。
大きな器は完成するまでに時間がかかり、それがどんな器になるのかわからない。
あまりに大きな音はかえってほとんど聞こえず、
きわめて大きな形をもっているもの(現象)は、ほとんど姿が見えない(認識できない)。
「道」(宇宙の摂理)もまた、無形無限のものであり、人智をはるかに超えたものであるがゆえに、知りようがない。
わかりきることなどなく
答えは
出せたら嘘なのかもしれない。
「縁」や「奇蹟」もコントロールできたら嘘なのかもしれない。
でも
それは
「確かに存在している」
たとえ認識できなくても
コントロールできなくても
起こるときには起こる。
それに出会うためにできるのが
宇宙のリズムに
魂の望みに
添っていること。
あるがままの流れに添って
日々を精一杯生きて
不意のギフトを喜べれば
それで充分。
そうとは知らずに
自分の道を歩いているものだから。
道の上にちゃんと奇蹟も幸運も
(もちろん不運やアクシデントも 笑)
あるから。
でも、どんなに不運だと思うことでも
ただそれだけではないことに気づくと
とたんに
奇蹟は身近なものになる。
当たり前に起こせるものになる。
あるがままを喜べれば
それは
幸せな人生。
世界は計り知れない。
知りきることなどできない。
その大きな世界の小さな一部に
どんな人生として刻むのか。
意味をつけるのは、自分。
決めていい。
意味のあるものにするのかしないのかは、自由。
自分次第。
あなたは
人生にどんな意味を見出しますか?
2018年05月26日
大きな希望を
大きな夢を
希望を持てると
それに向かってがんばれる。
大きな夢とか言ってないで
コツコツ今を大切に地道に生きることに
喜びを感じる。
どちらが
しっくりくるでしょうか。
どちらのタイプだったとしても
どうしようもなく
『目指すところ』は
誰にでもあって
そんなに大げさな
夢とか希望とか大志とか使命とかではなくても
なぜか
そうしたい
いろんな経験を経て
こうしたいと思うこと
そんな日常の延長上にあるようなものでも
『目指すところ』で。
まずは自分が幸せになりたい
家族を守りたい
あの人のために役に立ちたい
世の中を良くしたい
見ている先は違っても
だれもがどこかを目指している。
自分にとっての
「大切なもの」がある。
それを大切にできていれば
すでに魂の望みのひとつはクリアできていて
周りがどうか、ではなく、
どんなことをしているのが
いちばん楽しいのか
それを共に楽しめるのは誰なのか
そこから
大切にできていれば
世界は広がっていく。
自分の足元から
世界は広がっていく。
まずは
自分がどんなことなら
喜べるのか
誰に何を言われなくても
結果を気にせず
「やりたい」と思えるのか
それを見つけよう。
「自分」がハッキリしている人は
わりと容易くそれを見つけられるけど
中には「よくわからない」と言う人もいるかもしれない。
でも、そういう場合は
人との関わりの中で「自分」を見つけられる人かもしれない。
だからそういう場合は
大切な人が喜んでくれると自分も嬉しい
そう思えることが
自分にとっての「喜び」。
そんな喜びを与えてくれる人を大切にしよう。
どうすれば
ひとりでも多くの
そういう人に会えるのか。
その中にヒントがあるかもしれない。
「自分が関わるもの」。
どんな関わりごとが
自分を幸せな気持ちにしてくれるのか。
あとは、それをやるだけ。
どんな場合にも
自分の足元から。
関わり方も、
自分の力で、そうさせたい!
ではなく、相手の力で、そうなってほしい。
自分の力だけでは限界がある。
思い込みもある。
相手の最善のためには
相手自身に力を発揮してもらうことが大切。
そうしてこそ
ひとりひとりが輝く。
誰の心にも
希望は灯る。
その灯火は
みちしるべになる。
自分を
位置づけてくれるもの、
方向付けてくれるもの、
力を発揮させてくれるもの。
輝かせてくれるもの。
導いてくれるもの。
それは
生まれたときからずっと
自分の中で燃え続けている。
希望を持てると
それに向かってがんばれる。
大きな夢とか言ってないで
コツコツ今を大切に地道に生きることに
喜びを感じる。
どちらが
しっくりくるでしょうか。
どちらのタイプだったとしても
どうしようもなく
『目指すところ』は
誰にでもあって
そんなに大げさな
夢とか希望とか大志とか使命とかではなくても
なぜか
そうしたい
いろんな経験を経て
こうしたいと思うこと
そんな日常の延長上にあるようなものでも
『目指すところ』で。
まずは自分が幸せになりたい
家族を守りたい
あの人のために役に立ちたい
世の中を良くしたい
見ている先は違っても
だれもがどこかを目指している。
自分にとっての
「大切なもの」がある。
それを大切にできていれば
すでに魂の望みのひとつはクリアできていて
周りがどうか、ではなく、
どんなことをしているのが
いちばん楽しいのか
それを共に楽しめるのは誰なのか
そこから
大切にできていれば
世界は広がっていく。
自分の足元から
世界は広がっていく。
まずは
自分がどんなことなら
喜べるのか
誰に何を言われなくても
結果を気にせず
「やりたい」と思えるのか
それを見つけよう。
「自分」がハッキリしている人は
わりと容易くそれを見つけられるけど
中には「よくわからない」と言う人もいるかもしれない。
でも、そういう場合は
人との関わりの中で「自分」を見つけられる人かもしれない。
だからそういう場合は
大切な人が喜んでくれると自分も嬉しい
そう思えることが
自分にとっての「喜び」。
そんな喜びを与えてくれる人を大切にしよう。
どうすれば
ひとりでも多くの
そういう人に会えるのか。
その中にヒントがあるかもしれない。
「自分が関わるもの」。
どんな関わりごとが
自分を幸せな気持ちにしてくれるのか。
あとは、それをやるだけ。
どんな場合にも
自分の足元から。
関わり方も、
自分の力で、そうさせたい!
ではなく、相手の力で、そうなってほしい。
自分の力だけでは限界がある。
思い込みもある。
相手の最善のためには
相手自身に力を発揮してもらうことが大切。
そうしてこそ
ひとりひとりが輝く。
誰の心にも
希望は灯る。
その灯火は
みちしるべになる。
自分を
位置づけてくれるもの、
方向付けてくれるもの、
力を発揮させてくれるもの。
輝かせてくれるもの。
導いてくれるもの。
それは
生まれたときからずっと
自分の中で燃え続けている。
2018年05月25日
海で遊ぶ。頭上にあったものは・・・
空に不思議な模様が浮かびあがっていて
黒いすじ雲なのか
雲が割れて空が見えているのか
どちらかは
わからないのだけれど
なんとなく写真を撮って
帰って来て見たら
太陽の周りに虹(日暈)が写っていた
撮るときは眩しすぎて見えなかった(笑)
1日お天気は良かったのですが
海で遊ぶには寒かった(笑)
砂遊びしていると
波の音も
いつのまにか聞こえなくなって
頭上には
ずっと日暈も出ていたのに
気づきもせず(笑)
おひさまは
いつもそこにあって
当たり前のものほど
無関心になって
忘れてしまいがちだけど
普通にあるものでも
実は奇蹟にあふれていて
誰でもが
奇蹟に抱かれているということで。
そう思うと
一瞬一瞬も
何だか大切にできそうな気にならないだろうか。
黒いすじ雲なのか
雲が割れて空が見えているのか
どちらかは
わからないのだけれど
なんとなく写真を撮って
帰って来て見たら
太陽の周りに虹(日暈)が写っていた

撮るときは眩しすぎて見えなかった(笑)
1日お天気は良かったのですが
海で遊ぶには寒かった(笑)
砂遊びしていると
波の音も
いつのまにか聞こえなくなって
頭上には
ずっと日暈も出ていたのに
気づきもせず(笑)
おひさまは
いつもそこにあって
当たり前のものほど
無関心になって
忘れてしまいがちだけど
普通にあるものでも
実は奇蹟にあふれていて
誰でもが
奇蹟に抱かれているということで。
そう思うと
一瞬一瞬も
何だか大切にできそうな気にならないだろうか。
2018年05月24日
元気が出る言葉
とっても元気になれる言葉を見つけました。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。
それから
何の確証もないのに
心がウキウキです
こんなふうに
いつでも
魂に栄養が供給されるような
素敵な言葉を見つけられるといいですね
どんなときも
どんな状況でも
あっという間に笑顔になれる(笑)
同じように
この言葉を必要とされている方には
こっそりお伝えしようと思います
それから
何の確証もないのに
心がウキウキです

こんなふうに
いつでも
魂に栄養が供給されるような
素敵な言葉を見つけられるといいですね

どんなときも
どんな状況でも
あっという間に笑顔になれる(笑)
同じように
この言葉を必要とされている方には
こっそりお伝えしようと思います

2018年05月23日
2018年05月22日
美しさとともに
ネイティブアメリカン、ナバホ族の祈りの言葉。
『美しさとともに歩くとき』
わたしが歩くとき
世界もわたしと共に歩く
美しい世界がわたしの前を歩く
美しい世界がわたしのうしろについてくる
美しい世界がわたしの足元にある
美しい世界がわたしの上にひろがる
美しさは周りのすべてにある
わたしが歩くとき
わたしは美しさと共に歩く
わたしの歩みは美しさの中で終わる
「そのように生きる」という
姿勢でもあり
決意表明のようでもあり。
この目線を持った人の周りには
本当に
そのような世界が広がっているのだろう。
調和に満ちているのだろう。
この人の隣にいるのは
心地よさそうだ。
『美しさとともに歩くとき』
わたしが歩くとき
世界もわたしと共に歩く
美しい世界がわたしの前を歩く
美しい世界がわたしのうしろについてくる
美しい世界がわたしの足元にある
美しい世界がわたしの上にひろがる
美しさは周りのすべてにある
わたしが歩くとき
わたしは美しさと共に歩く
わたしの歩みは美しさの中で終わる
「そのように生きる」という
姿勢でもあり
決意表明のようでもあり。
この目線を持った人の周りには
本当に
そのような世界が広がっているのだろう。
調和に満ちているのだろう。
この人の隣にいるのは
心地よさそうだ。