惹かれたり
苦手に感じたり
何とも感じなかったり
それも
自分の設計図に刻まれていて
他の人も
それぞれに設計図があって
何を魅力的だと感じるか
苦手と感じるかは
それぞれで違っていて
何を体験するのかもそれぞれで
同じものでも
感じ方がそれぞれに違うことからわかるように
この世界での体験から感じることは
自分が決めています。
好き嫌いは
個人の感じ方なので
それぞれに自由ですが
その「感じ方」、
「どのように感じるか」
がクセモノで
まるで
あの人が悪い
この体験が悪い
社会が悪い
ように
自分には見えてしまうからめんどくさくて(笑)
この世界にあるものは
ただどうしようもなく自分がそうであるように
ただ在るだけで
世の中にある
たくさんのものを通して(利用して)
自分がどんな体験をしているかだけで
そのことに気づくと
いろんなことを感じてもいいけれど
自分で苦手に思うものは
自分の感じ方を変えてしまえば
苦手ではなくなる可能性もあったり
スルーできるようになったり
そもそも
そんなことどうでもよくなったり
ただの独り遊びだとわかるから
どんな世界にしてもよくて(笑)
人から見て
ラッキーに思えること
は
まさに
その人自身の心の在り方の顕れで
その人を見ると
これがその人の望んだ世界(完成途中ではあっても)なんだなぁ、と
客観的に見えて
その人の周りを見ていると
その人の頭の中がなんとなく見えて
その人の話す言葉を聴くと
その人の世界がなんとなく見えて
自分をクリアに保っている人は
そういうところを見たりするので
そして判断材料にしていたりするので
素敵な人と過ごしたいのならば
まず自分がそうであるように意識する(素敵な人になる)のは必須で
どうしても
わかりやすいこと(目に見えるもの・学力や経済力など)で判断しがちですが
目に見えないところで
判断する人もいるのだと
知っておくと違ってくるのかもしれない。
運のいい人は
目に見えないものを大切にしています。
そういうものを大切にしている人は
言葉や考え方、心の美しい人が幸運だと(不思議なことを起こすと)知っているのです。
そういう人が咄嗟の時、悪意ある判断をしないと知っているのです。
信頼で結ばれている。
どう生きるかは、もちろん個人の自由ですけどね(*^_^*)
(どんなに自分で拒否していても、それがどうしようもなく、必要なこともありますし)
できる範囲でいいので
意識すると
誰でも世界を変えることはできるのだと
言い切ります(笑)