2016年02月29日

すべて「生き方」に内包されている

なぜか惹かれるもの

興味があるもの

それに触れると、心や魂が元気を取り戻すもの

これらは、自分を癒し励ましてくれるエネルギーです。

自分のホロスコープなどを知らなくても、ちゃんと魂が知っている。

そこには魂の目的や使命に関わるヒントがあります。

それらをどのように使えば役に立てるのか?

・・・を考えることで、自然に魂の目的に近づくようになっています。




posted by Kaoru at 12:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

○○は嫌だ。は、実は望むことと同じくらい握っているもの

望まないことも、ずっとその事で嫌悪感を感じているのなら、望んでいることと同じくらい、考えていることだから、それに力を与えてしまう。

「いい」にも、「悪い」にもこだわらない

そうすると、よりよいものがスルリと入り込んでくるようになる。

それは、結局、自分でコントロールできるものではないと知り、「大いなる何かに任せる」という行為なのです。


・・・能天気に見えるかもしれないけれど、
今を充分に楽しんで、それを喜べていると、さらなる喜びに繋がるようになっているのですね。


いろんなことを手放して(あるいは浄化して)、スッキリしたら、その晴れやかな心で、さあ、何をしよう?

大切なのは、動く(今を充分に楽しむ)こと。

いろいろやった後、待ってるだけではなくて。
⬆ここが抜けないようにしないとね。

動く中で、たくさんのサポートが働き始める。

いろいろやるのは、「動ける自分をつくるため」なんです(*^_^*)




posted by Kaoru at 11:53| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月27日

自然に生まれたもの

手術のあと、しばらくは思考や未来が混乱していました。

この頃ようやく、少し落ち着いて、再確認ができました。

触れ続けていたいエネルギーは、魂が震えるほどの感動。

日々の生活の中に隠れている、光。
表向きは幸せだったり笑顔だったり元気だったりしても、その奥にある努力や悲しみややるせなさ、それらを超えた、笑顔。

私のエネルギーは、やっぱりここにある。

どうしてもあふれてくる。


それだけは、消せないもの。

私のいのちそのもの。


posted by Kaoru at 09:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月26日

夫婦の絆というものを、片親で育った私は、叔母夫婦から学んだ。

他にも、「夫婦の形」はいろいろ見てきたけれど、

直接的、情動的には、叔母夫婦から学んだ。

ケンカしてても、ふたりだから言い合えるんだってこと

口ではクソミソ(おっと、失礼 ^_^;)言ってても、心の底では信頼しあっていること

言葉にしなくても、情動って、一緒に住んでいると伝わってきて、

ああ、叔父は、叔母のこういうところに惚れたんだな、とか、
ああ、叔母は、叔父のこういうところを頼りにしているんだな、とか、

そして、信頼しあっているんだな、とか。

時に、お互いの口から(別々に、ではありますが。本人の前では言いづらいかな・・・? 笑)、素直なお互いへの気持ちを聞かせてもらえたり。

日常生活の中では、文句のひとつやふたつ、時には激しい感情も出てくるでしょう。
でも。

目に見えないところで結ばれているもの。

素敵だなと思いました。



posted by Kaoru at 10:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

もしも今、苦しみと共に在るのならば

苦しくて抜け出したくても抜け出せなくて

今でも思い出したくないくらいに酷い体験で

理不尽さにただただ傷つき続けていた時期(傷つくのを自分で認めていた・受け入れていた・許可していた)がありました。

自分自身よりも、社会的地位のある、その人の方が「常識的な(自分よりも優れている)」のだと信じていたから。

今思えば、あり得ないような依存💦
(その人を通しての自己実現💦)

どんなに理不尽なことをされても、自己中に、横暴に振る舞われても、間違っているのは自分の方、自分が成長するために必要なことなんだ、と、ただ耐えていました。

そうやって相手を持ち上げたものだから、相手は激しくエスカレート。


どんどん傲慢に。

正しいのは自分で、私の人格は全否定。
自分の都合のいいように言いくるめ。

マインドコントロールに近いものがあった。

途中でおかしいと魂が叫んでいた。でも、強烈すぎて、どうにもならなかった。

このままでは、「存在」が死んでしまう。
ただの、相手に都合のいい操り人形になってしまう。


この恐ろしさ、わかるでしょうか?


自分さえ我慢すれば、皆に迷惑がかからない(自分は生きているだけで迷惑をかける人間だ)
しまいには、我慢していた方(言うこと聞いてた方)が楽。って心境に。

相手中心の都合(発言・行動=暴言・暴力)は、自分を人間的に成長させてくれるためのアドバイスだ
全身全霊で、教えてくれているんだ(それを「愛」だと信じようとする)

自分よりも優れている人が、間違った言動をするはずがない。この発言(=暴言)には、何か意味があるはずだ


初めは、そう思って、自分のどこが悪いのか、どこをどう直せばいいのか、健気にも考え続けて、気づいたことを報告したりすらしていました。

「何だかおかしい・・・」と気づくには、ずいぶん時間を要しました。

相手が、社会的立場のある人だったこと、自分が無条件に相手を信じすぎたこと。

相手がすぐに激怒しても(これがまた、しつこくて長いんだ(´д`|||))、いい方にいい方に信じよう、信じようとしてきたこと(ここら辺の粘り強さったらもう・・・バカでしょ、と思う -_-;)。

私は、声を大にして言いたい。

耐えることが大切な場合と、そうでない場合がある。

たとえ自分で正しいと思って始めたことでも、そうではない場合もある。

苦しみが自分を成長させてくれる・・・という思想、限界がある。
(それであえて、苦しみとひとつになっていませんか?)

理不尽な現状を、肯定してはいけない時もある。

苦しみに耐えることが、立派なことではないこともある。

耐えることが、自分の魂(本来の輝き)を失わせてしまうのならば、それは思いきって関係性を変えた方がいい!
・・・と、知っておこう。

あまりに辛くて、自分がその中に関わり過ぎて、そうとでも思わなければ、耐えられなかった、って思いもわかる。

でも。

終わりにした方がいいものもある。

まるで自分が相手を苦しめるのではないだろうかという罪悪感から解放してあげてほしい。

それを、自分に許してあげてほしい。

虐げられている状況を受け入れることなどない。

そこから抜け出す勇気も、必要であれば、発動させなければいけない時もある。

それと関わらなくても、あなたは充分に幸せになれる。

私が悪いから、今、こんな目に遭うんだ、
私が行動することで、苦しむ人がいる。
だから、状況を変えても、私なんかが幸せになれるわけがない(幸せになっちゃいけない)、
と、自分を貶めないでほしい。
それは、間違った使い方。

他にあなたを幸せにしてくれる状況や人は、たくさんあるし、いる。

あなたは誰よりもまず、自分自身を救ってあげなければいけない。

自分を愛していないと、こんなふうに、自分を貶めて状況を何とかやり過ごそうと違った努力をしてしまいがち。

自分を愛するって、ナルシストな感じでは決してなく、必要な時には自分を自分で救い、慈しみ、大切にできるかどうか。

理不尽な関係に依存することなく、自立できているかどうか。

おかしいものをおかしいと、思えるかどうか。

優しすぎる人は、他者のことで苦しみやすい。
自分に厳しい人は、責任感から、現状を変えにくい。

時に冷たく感じられるようであっても、自分の魂を自分で殺したりしないでほしい。

本当の関係は、お互いを尊重する気持ちが根底に流れている。

そんな関係性もあるのだと、知っていてほしい。


切なる願いです。



posted by Kaoru at 08:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

問題に「大問題」と名前をつけない

必要以上に問題視しないこと

そのためにできること

・最善のタイミング・形で解決すると信じること(実際、解決するし)

・それが待てないという人は、この問題にはどんな「学び」が託されているのだろう?と考えてみる。「これかな? きっと、これだ」と魂が納得してくれるのなら、それが答え。
(この時、深追いしないこと。すぐには答えが出ないものもたくさんあるし、後でわかることも往々にしてあるし、必要なときに、「これだったんだ!」とわかるときがくるから)
➡答えと思われるものに出会ったとき、気分がスッとしたり、深い納得があれば、ほぼそれが答えでしょう。
更に、涙が出たり、喜びがあふれてきたり、感動・感謝に近い感情があふれてくるなら、間違いなくそれが答え。

・それでも「わからない💢」という場合は、思いつくことを、何でもやってみる。
(このとき、明らかに「結果」を求めないこと。劇的な変化、解答を期待しないこと)
「わからない」にはワケがあって、他者と関わることで得られるものがあったりするのかもしれないから。

動いているうちに、気がついたら、解決していた・・・なんてこともけっこうあるものです。

自分にとっての「問題」とは

魂の学びのために“自分がそれを重要視している状態”であり
“自分の本来の価値”に気づくために何かと比較したり、必要以上に落ち込んでみたりと、幸福とは反対の体験をしている状態であり・・・

だから「気づく」、それだけで問題は次々と消えていったりする。
(自分が必要以上にそれを問題視しなくなる)

そして、次々と問題がやってきても、
ただそれらをそのまま受け止めて

やはり最善の結果で落ち着く、自分は何かを学び、気づきや何か素晴らしいものを受け取っているはず

と信じられるから“宝探し”の方にフォーカスしている状態になり、問題は“問題”ではなくなる

今、ちょっと、目の前にある、山とか壁のように見えるだけ。

ギフトが見つけられるようになると、それまでは「大きな問題だった」辛いこと、苦しいことが、何だか冒険やチャレンジのように思えてくる。

どうやってクリアしてやろうかな〜

というような・・・

思い付かなければ、とりあえず、今できることをやる。

「旅行したい」と思っているのであれば、とりあえず、費用を貯める、ルートを調べる、宿泊先を調べる、周辺の状況を調べる・・・

やることはたくさんあります(*^_^*)

それをやっている中で、良い流れに出会ったり、不思議なご縁を感じられたり・・・

思いもよらぬことが起こったり。


それ(プロセス)を楽しめるようになったころ、

あなたが望む「何でか知らないけど、いいものが集まってくる」状態になっていると気づく


何もない中、それでもあるもの(その時の自分に無理なくできること)をさしだす。

その豊かな心が、真の豊かさを呼ぶのです。

相手に求めてその思いの中に当てはめようとするのではなく、相手を認めて受け入れそのままを、愛する。

そのあと、自分が求める相手からの思いを受け取れる(あるいは望んでいた状態になる)

それが、難しいなら初めはすべて捨てるつもりで差し出してみる。

期待するのはやめて、やれることをやり始める。

続けていると変わってきます。

それは自分のことだけを、やっているように見えて、実は「相手の善なる部分を信じる」ということでもあります。
善なる部分は、必ず出てくるようになっています。

すべての人は、もともとの本質が「善」だからです。

相手の自然な流れに任せると、それが出てきやすいのです。

コントロールしようとしないこと。


自分の理想をおしつけないこと。
(自分の思う形をおしつけるのは、時に相手を否定していることと同じだと知っていること)

そうすれば、相手の自然な姿が見えるようになってくる。

それは自分の思う形とは違うかもしれないけれど
思わぬ化学反応を見せてくれるかも。

その上で、相手と一緒にいることを選択するかどうか(言いたいことがあれば言うかどうか)は自分次第。

いろんな人がいる。

人生を共にしたいと思えるか?
一緒に仕事をしたいと思うのか?
友達がいいと思うのか?

「関係性」も決められる。

いきなり決めなくても、知り合ううちに自然に答えは出るかもしれない。

たくさんの人と関わってみるのがいい。

他者に教えてもらえることは、たくさんあるから。


あふれるものがあれば、ご縁は必ず生じるから。



posted by Kaoru at 15:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月23日

個人セッション

自らが迷いながら、苦しみながら、自分を磨き、自分を、自分の世界観を、表現する

私たちにできることは、それだけだと思う。

誠実にただ、自分を表現すること。

あとは、それをどう受け止めてくださる方がいるか・・・
そして、それからをどう生きようとしてくださるのか


向き合った時、わたしたちに生まれるものはシンプルに、それだけだと思う。



そして、話を聞く側にできることは、
あなたの人生を決めつけることではない。
あくまでも、可能性を示し、ご自身に選んでいただく。

その道を行くのは、他の誰でもない、あなた自身以外にはいないから。
誰も代わりになどなれないから。

答えを、明確な未来を聞きに行くのではなく、自分の未来を豊かにするための可能性を増やしていく

そのためのヒントにする

それをどんなふうに使おうと、それぞれの自由

あなたにしか使えない使い道があるはずなのです。



posted by Kaoru at 08:03| Comment(0) | ヒーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

過去生の記憶

今でてくる記憶(思い出す過去生)は

今生、必要なエネルギーをまとっているような気がする。


いろいろな転生をいくつも超えてきているのだけれど、

その数多の転生の中から、今思い出した魂の記憶は、今生にしっかり反映されている。

と、私は感じます。

その要素の強い、いくつもの過去生を凝縮させて、過去の時間の中の澱を一気に解消する。

まさに続きを生きて、やり残したこと、リトライしたかったことたちと今、向き合っているんだなぁ・・・


posted by Kaoru at 12:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

「客観視」は言わば「神目線」

自分の人生を俯瞰するとき

客観視する時に見えてくる世界がある


この苦労は、ただ「苦労」として選んできただけではないのだな(それを体験することでその苦労した分野のエキスパートになろうとしている、など)

大変なところと容易なところと
うまく配合されていたり

自分の人生の中に、「恩恵(ギフト)」がどんなふうに託されているかを見つけられるようになったのならば、それはもう「神目線」と言ってもいいと思う(笑)

posted by Kaoru at 12:00| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

他者からの評価

他者から、自分がどんなふうに見えているのか

たくさんの人と関わる中で、あまりにいろいろすぎて、どれが「自分」か、わからなくなりました(笑)

というか、それをコントロールはできないので、「この人には、そのように見えるのだなぁ」と、ただ見ていました(笑)

それを否定も肯定もせず。
(よけいに混乱するかな 笑)
訂正した方がいいの?
でも、どう思われようが、それをコントロールはできないし、どう思おうとその人の自由だし、

私は私以外の何者にもなれるわけはなく、
「評価」は「評価する方」にお任せして。

私は私を生きていく。


面白いですねぇ。
「評価」って、「流れる」んですよ(笑)
誰かがそういうと、そうかな、って気になってくる。
そうかな。って思う人数が膨らむと、余計にそっちに流れやすくなる。

でも、「それ」を決めるのも自分ですからね。


発している「周波数」は、必ず伝わります。
「虚飾」は通用しないから。

本来の自分は、どんなときにも輝きを放っていて、それを見つけてくれる人は必ずいます。





posted by Kaoru at 08:16| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする