2015年06月24日

どっさり解放

おおぉ?

おおおぉ〜?!


スゴイスゴイ右矢印2右矢印2きらきら

芋づる式に出てくる出てくる!


「この思い込み、もう、要らない」私、幸せになりたいから。
「バイバイ」今まで、ありがとね。


数日前、ふと、何の気なしに、そうだ、手放してみよ。

って、ただそう決めて、「手放しの瞑想」(光の前世ヒーリングを受けた方は、セッションの中で体験している方もいらっしゃいます。気になる方はご連絡下さい(*^_^*) コツをお伝え致します)をして、その中で、バイバイ。って言ったことがありました。


そしたら。

翌日、ズルズルズル〜っと、出てくる出てくる(笑)
もちろん、それを刺激してくれる「キッカケ」はありましたが。
決めるだけで(気づくだけで)ちゃんと「キッカケ」はやってきてくれる。
ありがとうハートきらきら

で。
私が「手放しの瞑想」で手放したのは、ホントに表面的な、「わかってる」ことだったのに。
ズルズルズル〜っと、だいぶ深いところまでが出てきて。

ああ。

ああぁ〜。

よくわかる。
すご〜くよく見える。

まだ、頑なにこれ、持ってたね。
つい、頑張っちゃうクセ。
受け取らないクセ。
大丈夫って言っちゃうクセ(大丈夫って言って受け取らないってこと)。

ホントに、今、バイバイだ・・・てれてれ

もぉ、ユルユルになろ。

で、ひとりでがんばるのはやめて、もっと、みんなが自分らしく活躍できるように、そのスペースをつくろう。


もっと、信じよう。

今まで、信じてあげられなかった自分のことを、もっともっと信じてあげよう。

たっくさん、受け取ろう!

「あげたい」人も、たくさんいるんだから。
変に遠慮しないで、どんどん受け取ろう。


素直に喜ぶってことなんだね。
自分に正直にって、こういう使い方もあるんだね。

イヤはイヤ。
嬉しいは嬉しい。

はっきり言う。

たっくさん、受け取ろうっと!きらきら


そう、決めたら。

おぉ〜?

おおおぉ〜?!

どんどん自分が緩んでいく〜!

リラックスしていく〜。
さらに穏やかに。平和な気持ちに・・・ちょっと、ピンク色な感じもする・・・

なんだ、このエネルギーは?!

これはー・・・。

人を、優しくするな〜きらきら

・・・なんてことを感じていたら、

近くで、「(おそらく、粒子の話)・・・エネルギーを、加速させるんですって。」という、声が。
前後の会話はわかりませんが。

それだけ、すごく強く私の中に入ってきて・・・

そうか。
エネルギーを、加速させるのかてれてれ

あれ?

また、もらった?


今度、Graceでやってみようかな(*^_^*)きらきら



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2015年06月23日

こだわりなくフラットに

自分でバランスがとれるようになると、
他者がどこでバランスを崩しているのか、その偏りが見えるようになってくる。

自分がニュートラルでいると、
他者が激しく反応しているポイントが見えるようになってくる。
(何度も言ってますが、「反応する」ポイントにこそ、「鍵」があります)

自分がこだわりをなくすと、
他者が何にこだわっているのかが見えるようになってくる。

ゴールデンポイントに導く方法は
自分がゴールデンポイントにいること。
(まぁ、これも自分のフィルターをガッツリ通ってはいますが・・・ ^_^;)

他者を癒すには、自分が癒されていること。

自分が放つ周波数は、他者とシンクロする。


それは、「伝達ツール」を選ばない。
ただ、自分がそうであること。


平和を求めるのであれば、自分が平和であること。


他者を解放するには、自分が解放されていること。


自分が解放されていたり平和だったりすると、他者のことが気にならなくなってくる。

他者やある状況を責めてしまうのは、自分が何かに縛られているから。
縛られていない人が許せない。

好きなことをしている人は、他者が好きなことを(好きな事というのが、社会的には適合していなくてもね右矢印1たとえば、怠けているように見えること、とか、誰かに嫌な思いをさせていたり、負担をかけているように見えること、とか。)しているのを他罰的にならずに見ていられるのです。責めるような事は言わない。

自分で自分を制限していると(イヤイヤやっていたり、依存度が高かったりすると)、どうしても他罰的になってしまう。自分はこんなにやっているのに・・・(あの人は全然やらない)って。

自分で自分を制限する(律する・そうしないことを選択する)のも、アリなんですけどね。

それでも、好きで自分を律している(その状態を選んだ)わけだから、そこに葛藤は生まれない。


他罰的な自分を見つけた時は、自分で自分の何を制限している(責めている)のか、考えてみよう。
(むりやり考えなくてもいいけど。余裕があれば、探してみてね *^_^*)

で、そんな自分をただ、感じてみよう。


あぁ、そうか、○○だったんだな・・・と気づけば、それでOK。

(○○の例・・・イライラしてたんだな、羨ましかったんだな、自分だけって気持ちになってたんだな、〜しなくちゃになってたな、などなど)


課題なんて、たっくさん見つけられる(笑)
日々の中に、いくらでもある。


それから、見つけた後、何とかして手放してあげなくちゃ、とか、浄化しなくちゃ、なんて、頑張らなくても大丈夫。
気づけば消えるものだから。


レッツトライ。


posted by Kaoru at 08:55| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

世界観

いろんな人の話を聴いていると、いろんな世界観があって

正にその人の話す言葉、考える思考の世界に住んでいるのがよく見えて

「思考が現実化する」

というのは、今この瞬間を切り取ってもそう言えることで
毎瞬毎瞬「叶えている」んだなというのがよくわかる

今、つらくて抜け出せなくて苦しい

というときは、本当は一瞬で世界を変えられるのも本当で

「どんな世界でも創れる」(創っていい)というのは
「思考」を変えるということで

それは一瞬にして望みのお城みたいなお家が手に入った〜という感じのものではなくて

「考え方」を変えるだけで
一瞬にして「世界は違って見える」ということで

それは

「自分の内側を変えると、外側も変わる」と言われていることと同じことで

たとえば、友達(あるいは職場の人など)が自分の目の前でドアをバターン!と閉めた。
何か私に怒ってる・・・
と思うのは

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

たまたま勢い余って自分でもビックリするくらいに、大きな音が出ただけかもしれない。

自分に怒っていなくても、別のことに怒っている可能性もある。

重要なのは、その人が怒ってるか怒ってないかではなく、自分がどう受け止めたか。

ただ、「ドアが大きな音をたてて閉まった」という事実を使って、「私って、嫌われてる・・・」などと、ネガティブなほうに持っていかないこと。

そこに自分を絡めて
ありもしないことで自分や相手を責めるというのをやめる

もしも、ただ、勢い余って自分でもビックリするくらいに、大きな音が出ただけだったとしたら・・・

「私が気が利かないから嫌われてるんだ・・・」とか、「何か怒るようなことしたかな」って自分を責めるのも、「感じ悪〜い! ドアに当たらなくてもいいじゃない!」と相手を責めるのも、相手にとってはそんなつもりなどないから、降ってわいた謎の感情なわけです。

いずれにしても、あやふやなことは悪意にとらない、というのが心を軽くするコツです。
紛れもない事実にのみ謝るなり聞いてみるなりして対処すればよくて、大概は、自分の勝手な思い込みだったりします。

そう思って自分の感情を絡めず、悪意にとらないようにしていると、すいぶん生きるのが楽になります。

ちょっと何かが起こっても

きっと、仕事が忙しくて、イライラしてるのかな。

とポジティブな方に信じられるようになる。

自分の思い込みが本当かどうかは重要ではなく

どう思うか(どんな理由を選択するか)で自分の心の状態がまるで変わってしまうこと

どちらの世界に住んでいたいかということ
そして好きな方を選んでいいのだということ

どちらの方が心地いいのか

それも自分で選べるのだということ

住みたい世界に住める

その日々の繰り返しがあなたの世界を変えていく

世界は変わる

あなたの意識次第で

気づいたら
「一瞬で世界は変えられる」ということを体感できているはず


posted by Kaoru at 06:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月21日

傷つきやすい自分の役割

加齢による何かか(笑)、学んだのか

だいぶいろんなことがあってもどうでもよくなってきた平静でいられるようになってきたのですが、

感じやすく繊細だった(とにかくいろんなことに傷つきやすく、悪い方悪い方に考えがちな)自分も健在で

でも、その自分は

心の深いところから平静な自分を見ていて

同じように傷ついたり、悪い方に受けとる自分もいるにはいるけれど

今となっては

ただ傷ついて恨んでひねて
何でも悪い方に考えて悶えていた自分ではなくて


傷つきやすい感受性を残しつつ

完全にコントロール(運転)を平静な自分に任せているという感じ。

傷つきやすい自分がいなくなったわけではなくて、ちゃんといるけど、これまでみたいに前に出て来て暴れるのはやめて、主導権を平静な自分に譲って、平静な自分がどう事に当たるのかを観察している感じ。

そして、その傷つきやすい自分がつぶやく。

ずいぶん、心は違う反応をするようになったなぁと。

過去の傷つきやすい自分は、心の反応の比較対象でもあり
監視者でもある。

バランスを保つためのウェイトでもあり
時に、助手席で、地図を広げるナビゲーターでもある。

平静な自分を励ますサポーターであり、
慰め癒し見守ってくれる存在でもある。

協力しあって、「私」を運転している。

今の自分は、これまでの自分の集大成なんですね・・・





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2015年06月20日

魂の求めていること

人は誰でも、自然に、自分のいのちの計画にそって生きているもので、


魂には、それぞれが決めた生き方があります。


いろんな方のお話を聞いて、アドバイスさせていただいておりますが、

本当は、余計なお世話かも・・・と思います(^_^;)

しかし、出会ったということは、この出会いも計画のうちなのだろうと思い、起こるに任せております。


自分が長い間、ある思いを手放せずにいると、思いとひとつになりすぎて、なかなか気づかなかったり、

その状態に慣れすぎて、今度は手放せなかったりします。
しかも、その状態(しっかり握っている状態)であることに、自分なりの理由を見つけていると、なおさら手放し難かったりします。

私の場合、病を持っているということは、魂の計画の一部(ほぼメインかもあせあせ(飛び散る汗))だと思っているのですが、

こんなことがありました。


私には、「身体が弱い目線」が基礎部分にどっかりとあって、話すことや価値観なども、それを踏まえた上でのものになっていたと思います。
初めは、それが嫌だった。隠そうとしたり、皆と同じであろうとしたりした(どうしようもなく無理なのに)。

でも、途中で、言葉を誉められるようになった。
私の中から生まれてくる言葉は、身体のことでさんざん悩んだり考えたり苦しんだりしたから、ある種の力を持っているのだと自分なりに分析(・・・なんてほどのものでもないけどね ^_^;)してた。

同じ悩みを抱えているからこそ、話ができるのだとも思っていました。
私自身が、病を持っている者として、健康な人からの慰めや励ましの言葉は、受け取れなかったのです。
どうせ、わかるわけない、と(真剣に応えようとしてくださってた人には失礼ですよね)。

そんなこともあったので、余計に、同じ状況の人としか、真に理解し合えないと思い込んでいたのです。


ある時、大きな手術が決まり、無事乗り越えました。


どんどん回復している身体を見て、ある思いが強く浮上してくるのを感じました。


とりあえず、命の危険が回避されたら、私の言葉は、「ちから」を失ってしまうのではないかと。


本当に苦しんでいる人の気持ちがわからなくなってしまうのではないかと。


死を前にしている人の心に、とりあえず今、健康な私の言葉は届くのだろうかと。

独りぼっちにしてしまうのではないかと。


私は、回復していく自分に抵抗していました。
(そんなふうに思うことなんて、全然ないのに。相談にのっていたわけでもなく、ただのヒトなのに 笑。何設定だったんだろう、私 笑)
でも、自分でもビックリするくらいに、これが、けっこうな抵抗だったのです。


私の言葉は、ギリギリ生死と向き合っているから生まれてくるものなのだと信じていたのです。


だからこそある種の鋭さを持っているのだと。
(それを誉められて嬉しかったんだね 笑)

で、同時に、それが自分を「ここにいてもいい」と認める手段のひとつにしていたわけだ。
勝手に、それが自分の存在理由、くらいに思っていた。
そこに自分を一体化させて自分に価値を持たせていたわけです。
「だから、すごい自分」(生きていていい・存在していていい)

だから余計に、それがなくなるのが怖かった。
あまりにもそれとひとつになりすぎて。それを「自分」にし過ぎて。

拠り所を、こういうところでとっちゃうと、グラグラだよね。
いつかなくなるかもしれないものだから。
でも、それを認めることで、自分にOKを出していたから、手放し難くもあり(自分に価値がなくなる、って思い込んでいたからね)、大きな抵抗が出てきたのも仕方のない話で。


その時、私は辛くて寂しくて、理解者が欲しくて欲しくてたまらなかった。


でも、魂は、「孤独」であることを必要としていたようでした。
あんまり多くとはご縁がなかったんです。


その、孤独だった時間の中で熟成されたものがあったのも事実。

そういう、いろんな時期やものごとを通り過ぎて思うのは、
やはり、「その時、必要な体験をしていた」ということで

もちろん、魂の計画の全貌を知ることはできないけれど
自分なりに学びと気づきを繰り返し、これまであったことを受け入れられていて

魂が納得するまでは、どんなに頭で拒否していても、その体験はさせられて(苦笑)
そのままでは自分がしんどいものだから、楽になりたくてあがいてもがいて努力させられて
何が何でもつかみとらされる^_^;

そんなふうに、必要なことはどうしようもなく起きて

自分が納得していればいいのだけれど、自分がめっちゃ拒否している、ということもあるわけで・・・^_^;
それに対処するには、起こっていることのいい面を見て(信じて)、がっつりその課題に取り組むしかないのだけれど・・・

思いっきり味わえば(そしてできるなら、その中で自分にとって素敵な答えをつかめたらいいのだけど)、静かに通り過ぎるので。

だから、本当は、「拠り所」はね、

「今ここに生きている自分」とか、「生まれてここまで成長できた自分」とか、
「生きてるだけで充分じゃない✧*。٩(ˊᗜˋ*)و✧*。」とか、

誰かに誉められたり認められたりすることで得られるものにするのではなくて、

でも、それは、決して、下に見るとか諦めるとかではなく。

もともとの自分とか、
「大いなる何か」とか、
「生命のみなもと」、「おおもと」みたいなところに持っていくとね、ブレないんだけどね。

そのままで、ホントはすごいんだよ、奇蹟のかたまりなんだよ、って気づくことで。

そうなれば、自分を認めるために必要なものなんてほとんどなくて、ただ自分自身が今ここにあればいい、ってことで。

自然に、魂の意図したものが現れやすくなる。

たくさんの努力と苦労と涙と汗を超えて、たどり着いた平穏。
これまでの自分を誉めてあげてほしい。

いっぱいいっぱい、頑張ったんだから。


あとは、魂の求めていることが自然発生しやすいように、来た波にのる。

全部を受けとる。

ほんとに、豊かになるから。



posted by Kaoru at 11:11| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月19日

迷い道も正規のルート

自分のことを知る(理解を深める)ツールはたくさんあるけれど

それに触れられる人もいれば、あまり縁がない、という方もいらっしゃるでしょう。

あまり縁がない、としても、そうとは知らずに触れているもので、日々、楽しい、という場合は、かなり近いところにいる可能性大です。

占星術の先生がおっしゃってました。

「ホロスコープに素直に生きている人(やりたいことやって生きている人)は、あまり自分の人生に対して愚痴を言わない。ホロスコープと違うことをやっている人(やりたいこともやらず、制限をかけている人)は、愚痴や不満が多い」

ほおぉ〜と思ったと同時に、なんかわかる、とも思った私。

それはそうだろうな、とも言える(自分の設計図=自分に与えられた傾向だからね)。
与えられた傾向に素直な方が、追い風というか、摩擦がないからね。

何だか違う、と感じていたり、自分の人生に対して何だか「あ〜あダッシュ」な感じがある場合は、「そっちじゃないよ」というサインかもしれないですね。

でも、「何だか違う」と、感じやすい人もいるわけで・・・

それは、自分が違うところにいる、というわけではなくて、そう感じることによって、自分の人生を醸しているというケースもあるので、「満足感が得られにくい」という感覚を持っている人もいる。
そういう場合は、満足感が得られにくい自分と知っていておいて、満足感が得られるポイントを自分で上げ下げして何とか工夫してみるといいのかも・・・でも、得られにくいのかもだけど。

なぜ満足感が得られにくいのかというと、そこには「常に次へ!」という、魂の意図があるのかもしれないですね。「現状に満足しない」っていう。
だから、進み続ける、探し続ける。
その方が、その人らしいのかもしれない。
ひょっとしたら、「探しても答えなんてない」設定かもしれない。
でもそれは、きっと、探し続ける、進み続けることがその人にとっては大切なことだから。
答えなんてもともと必要としていなかったのかも?

「満足感を得られにくい」自分に不満を持つよりは、そうなんだ、と知って、工夫する、あるいは次を目指す、を頑張った方が楽しいのかもしれない。

自分て、こう。
を知らなくても、ちゃんと道は進んでいるもの。

だから、心配しないで。

今日、できることをやってみてきらきら


それで大丈夫。



posted by Kaoru at 07:15| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月18日

その時になってみてわかること

バラバラだった予定が、ふたをあけてみたら、全部がちょうど良かったね・・・という流れで

ひとつひとつが決まっていくときは、数ヵ月先のことなんてわからないし、組み合わせようもなかったんだけど、

その時が来てみたら


まぁ何と、計算したみたいにピッタリ!!

いや〜・・・

「すべてはうまくいっている」って、ホントにそうね・・・


これまでもいろいろあったけど、

今日、改めてそうだと感じました。

全然自分でコントロールすることなんかなくて、

ぜ〜んぶ成り行き任せだったのに・・・

無理(コントロール)しない方が楽。
しかも、完璧。

安心して任せられる自分になると、こんなにも楽。
(目に見えないものへの信頼感は大切)
そして感動。


そう。
自分で把握しているわけではないから、

その時になってみないとわからないことってたくさんあって、

それがわかったときの驚きや感動ったら!きらきら

そう来る〜?!きらきら

この流れに慣れると、楽しくてしょうがないです。
今度はどうするの? どんなこと用意しててくれるの?きらきら というワクワク感o(^o^)o
ノープランの不安や先が見えないもどかしさ、思い通りにならないフラストレーションみたいなのは、初めはあるけれど、「きっと何とかなるわ」と信じて任せていると、それにしっかり応えるように、宇宙がガッチリサポートしてくれる。

何より信頼できる、強い味方ハートきらきら



posted by Kaoru at 07:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月17日

度量

個人が必要とする「愛情」の量と質は違う。

そのことに気づくまで、ずいぶん辛かった。


溢れすぎて噛み合わなくて寂しい思いをする人、
足りないと感じて欲しがる人、
もらっても受け取れない人、
与えても返って来ないと思う人、
絶対的に違うと気づいて絶望する人、



いろいろだと思います。


自分では「これが愛」だと思っていても、他の人にも同じようにそれが愛とは限らない。

じゃあ、どうやってこの穴を埋めようか、と、模索するようになって、
それも長い旅だったけれど、
誰かに埋めてもらおうとしていたときは、何だかうまくいかなかった。
(自分の望み・期待通りに埋めてくれる人なんかいなかった)

訳のわからない苛立ちも、寂しさも、勘の高さも、
「私は、ただ愛してほしかっただけなんだ」と気づいただけで、だいぶ落ち着いた。

愛の分量や形が、噛み合わなかっただけなんだ
と思ったら、誰かに過剰に期待することも、おしつけることも減った。

だんだんバランスがとれるようになって、
自分で何とかできそうな気がしてきた。
(自分で自分をたっぷり愛してあげよう、と目先が変わった)

自分で何とかできるようになったら、今度はあふれてきた。
(すでに自分は愛されていた、と知ること、今ある自分の環境に満足すること、今、幸せになれることをたくさん見つけることを続けていたら、ラッキーなことはホントにたくさんあった)

自分から愛を発信するようになったら、どこからか返ってきて、どんな小さなことも(まあ、大きいも小さいもないけど)喜べるようになっていた。

今はただ、

自分にやれることをやりつづければいい、と思っている。

愛の質や分量がどれくらい必要かは、相手を見ていれば何となくわかる。



「違い」があるのだと、ただ知っていると、その「違い」がどんな風に違うのかが見えてくる。


「違う」んだ、と気づくだけで、心に余裕が生まれる。
そして、窮屈な思いも減ってくる。


posted by Kaoru at 09:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

見極め

誉められて(おだてられて)育つ人、
たたかれて(厳しさを乗り越えて)伸びる人、

ポジティブが糧となる人、
ネガティブが糧となる人、

これ、逆をやっちゃうと死んじゃう(個性が 笑)

うまくしたもので、相談に来られる方は、どこで判断なさるのか・・・
はたまた直感、本能的なものなのか・・・

ちゃんと見分けて来られる(必要なところにたどり着く)から、不思議です。

「怒られたくて」、叱ってくれる人をちゃんと選んでいく。
そういうことを、敢えて起こす(無意識)人もいる。

典型的な「誉められて伸びるタイプ」の私からすると(笑)、なんでわざわざ怒られにいくの?・・・とザワつきます(笑)

でも、魂の意図が、そこにはちゃんとあるわけですが、正反対の性格を持っていると、ぴたっとはいかなくなってくる・・・

直感で、勢いで、ガッと行けちゃう人、
慎重に慎重を重ねてからでないと行けない人、

これも、お互いに「怖い」らしい(笑)


後先考えずに、直感・勢いで行く人には、慎重な人のエネルギーは、失速に感じる(水をさされるような)。
衝動が大切なので、その時の勢い、情熱(気持ちの盛り上がり)重視でそのまま駆け抜ける。
「千載一遇のチャンスかもしれないタイミング、逃すの怖い〜あせあせ(飛び散る汗)

慎重に考えて、リスクも計算してからでないと動けない人には、勢いで動く人を「無謀」だと感じる。
結果が出ないかもしれないことにエネルギーは注げない。失敗するかもしれないし・・・
「は? ノープラン? もう、それだけで怖い〜あせあせ(飛び散る汗)

「やってみなくちゃわかんないじゃ〜ん八分音符」なんて、ノーテンキに映るんだろうな(笑)


総ての計画には、あらゆる人が必要で、

適材適所で、必要な人が集まって、それぞれが得意なことを存分にやれたら、素敵だなきらきら

始めるのが得意だけど、継続させるのと、片付けるのは苦手
という人と、
始められないけど、後始末(広がったものを集束させるの)は得意
という人、
始めるのも片付けるのもあんまり得意じゃないけど、続けたり、すでにあるものをいじって洗練させるのは得意
という人。

皆が集まれば、総ての行程が完成する。
しかも、自分ひとりでやる以上の形で。

始めるのが得意な人は、「飛び出す」エネルギーが大切なので、継続や安定、完了のエネルギーとは別々の方が心地いい(飽きっぽかったりする 笑右矢印1それは、やはり、落ち着かないように、なのかもね)。

継続が得意な人は、それに取り組む粘り強さが必要なので、「衝動」があると落ち着かないから「安定」している方が落ち着く。変化しなくても大丈夫。

私は、始めるのが得意なタイプなので、感覚的に、衝動が大切、とか、すぐ飽きて続かないとか、わかるのですが(笑)、安定してくると、わざとエキセントリックな言動をとって、安定をかき乱すってエネルギーも持っていたりします(やっかいやな、これ(-_-;)・・・)。

一見、ネガティブな、「飽きっぽくて続かない」が、新鮮さを保っていたり、新しいことを起こしたりするのですね・・・

バランス重視のエネルギーの場合、「揺れる」のが大切だから、「どれかひとつに答えを出すのが苦手」とか。
白黒ハッキリさせたい人には、わかりにくい感覚かもしれません。

二面性を理解できる人は、一点集中なエネルギーが苦手で、突き詰められると、はぐらかしちゃう(これも、答えをひとつに絞れない)とか。
この人には、「どうなの?!」なんて詰問が、そもそも無理なんですね・・・
仕事とアタシ、どっちが大切なのよ?!
(・・・どっちも。)左矢印1心の声
みたいな? こと言われて困ってる、というような・・・


揺れているほうが「らしい」
答えを出せないのが「らしい」
本来のエネルギーを使っているから。

自分の性質を知っていると、自分も周りも楽かもしれない。
良かれと思ってすることが、時に、軽くするどころかプレッシャーになることもあり得るので、どういうタイプかの見極めは大切ですね。


「違い」を批判することが(したければしてもいいんだけど・・・ていうか、ついしちゃうものだけど ^_^;)、いかに意味のないことかがわかる。

誰かがどこかで必ず役に立っている。


この世界では、誰もが、必要とされている存在。




posted by Kaoru at 08:23| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月15日

ニュートラルに

感情がザワつくとき

一瞬でニュートラルな状態に戻せる言葉があります。

私は、その言葉で随分バランスがとれるようになりました。

で、いろんな「手放し」や「開放」や「許す」テクニックがあるけれど、これら全部、このひとつの概念に集約できる。と、思いました。

その言葉とは・・・

「誰もが、地球に学びに来ている仲間」

それには

「それぞれの体験や学びは違う」
という前提があり

「体験が違えば、思考も違い、必要とする現実・感情も違う」
ということでもあり

だから、「人と比べても意味がない」
ということに、気づき

「ひとりひとり違うんだ」とわかっているから
“境界線”を持つことができ
“違い”を許すこともできる

そして、「優劣」からも解放される。

だって、誰もが未完成であるという意味において“完璧”だから。

だから、今、ここにいる

でなければ、ここにいる(わざわざ生まれてくる)必要ないよね。

で。

みんながそうだと気づいたら

誰もがいとおしく思えてくる。

共に志を持つ、仲間だから。

それを、今、この現実の中で、笑ったり泣いたり悩んだり苦しんだりして、必死で生きているから。

いろんな感情を味わえばいいよ。

自分にあることが起きた、それが総て。

だからその時、それと向き合えばいい。

ただ受け入れてもいいし、それが嫌ならあがいてみてもいい。

自分に起きたということはその状態が自分に許されているということ。

だから、思いっきり味わうといい。
そうすれば、自然に次の道が見えてくる(自然にやりたい何かが浮かんでくる)。

可能なら、その感情とひとつになりきるのではなく、そういう自分がいるなぁ、と観察してみる。
今は、これを体験したがっているんだなぁ、と、その体験をさせてあげる。
そして後はそれに固執しないこと。
(言い方を変えると、一度体験や感情とひとつになってから、離れて・俯瞰して、後は忘れる・委ねる)

そして、できるだけ干渉せず、その人(ことやもの)の自然な流れに任せる。
すると、それらは自分らしく(それそのものらしく)存在できるようになる。

そのもの自身のエネルギーによって、自然に落ち着くところに落ち着く。

対象が人なら、放っといたら、自分でやるようになった、的な。


どんな存在も、今、この宇宙を構成するには必要な存在で、それぞれに必要なお役目を果たしている。

引きこもって、何にもしないで、ただ息をしているだけですけど・・・?

って場合でも。
(それでもいいの?って思うってことは、それを気にしてるってことは、それが「良くない」って前提)
不思議に、いいとか良くないとか気にするのをやめると、途端にそのものの持つエネルギーは輝き始める。
そういうこちらの勝手な判断(決めつけ)が、本来の姿を保てなくしているんです。

あらゆる存在には、もともとのエネルギーがある。

何でも、自分で決めた観念に押し込もうとするから、流れがおかしくなる。

心に余計なものをくっつけなければ、自然に流れていく。

いつまで、それを握りしめていますか?


posted by Kaoru at 12:49| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする