2011年01月31日

つながる

チャネリング

高次の存在と繋がる

メッセージを受け取る

降りてくる


いろんな言い方があります。

そう聞くと、何か特別な能力や、高次の存在とつながるための特別な手順、方法などが必要なのではないかと思いがちですが、実はそうではありません。

これまで、何となく、高次の存在と繋がるために、のような話を見聞きしたりする機会に恵まれましたが、わかったことは、

自分に最適の方法ややりかた、タイミングがあるのだということです。

何度か、こういう手順でこういうふうにして、と教わる機会もありましたが、完全に落ちこぼれでしたあせあせ(飛び散る汗)

そのようにやっても、どうしても思うようにならないのです。

でも、その後、「ああ、これか、これなんだ」という事がありました。

手順を踏まなくても、顔を見た瞬間やメールを受信した瞬間、予約フォームを見た瞬間などなど、そのほんの一瞬の間に、感じていたのです。
気がつけば、「じゃあ、これまでのあの時のことは、そうだったんだ」「あの瞬間のことは、そうだったんだ」「ずっとつながってたんだ」 ・・・たくさん思い当たる事があります。

それはとても微かに、ほんとに一瞬のことなので、これまでは、全然気にも留めませんでした・・・あせあせ(飛び散る汗)
しかも、きくのと同じ速さで、あるいはきき終わる前に返ってきたりすることもあるので、完全につかまえ損ねたり、ちょっとよそごとに気をとられるともうわからなくなったり、思っても、流したり、うち消したり、単なる偶然とかただの想像で片づけていたりしてきたことに気付きました。


でも、ふわっとほのかに感じるものがある。

それを高次の存在からのメッセージと受け取るか、単なる自分の思いつきと思うか・・・
それも疑問なのですが、辿り着いたのは、「どっちでもいいじゃない」てこと(笑)

ふと思いついたから、伝える。

それでいいじゃない、と。

それがマッチしていたりするからビックリなのです。

せっかく感じているのに、ある方法や手順を踏んでと、そちらに意識が向くからわからなくなってしまう・・・

その方法が合っているという人もいるでしょう。

でも、方法は、その人によっていろいろなのだと気付きました。

自分にわかりやすい方法、やりやすい方法でいいのです。

何も特別なことでも、不思議なことでも、全然なかった。
誰もがみんな、知らず知らずのうちに受取っていたのです。

それは、たとえば、開いてたまたま目に飛び込んできた、雑誌のある記事、ある言葉。
たまたまつけたテレビで、最初に飛び込んできた言葉。
街中の看板。電車の吊り広告。何だか気になる言葉。

それなら、今までもたくさんありましたよね。

他にも、夢で見る、イメージが浮かぶ、言葉が聴こえる、一瞬映像が強く浮かぶ、瞑想でそれを受取るという人もいれば、洗い物の途中で思いついたという人もいるでしょう。

それは、人によってそれぞれで、内容もタイミングもそれぞれなのです。

でも、それはあまりに日常に同化していて、メッセージなのか単なる自分の思考なのか区別がつかない、ということもありますね。

ひとつ。教えてもらったことがありますわーい(嬉しい顔)

高次の存在からのメッセージは、本人が成長・拡大するような内容なのだそうです。
逆に、〜しなさい、〜そうあるべき、〜してはいけないなどの、命令口調や制限がある場合は、低次の存在である場合が多いそうです。

でも、自分で「これって、きっとそうだ」と何となくわかりますよ。
回数が重なれば重なるほど。そして、勇気を出して言ってみれば言ってみるほど。
マッチするので。

高次の存在は「愛」そのものでもあるので、ちゃんとこちら側に「選択の余地・権利」を与えていてくれるのだそうです。
そして、違う方を選んだとしても、いつも変わらず見守っていてくれ、その経験もまた自分を大きく成長させてくれるものなのだそうです。

正しい道には、たくさんのシンクロやサプライズを用意して、ちゃんと導いてくれる。

そう思うと、とても安心ですね。
いつも、見守られている。独りじゃない。

誰もがみんな。

どんな悲しい事も、辛い事も、それを超えれば、そこには素晴らしいものが待っている。

自分が想像しているよりも、もっともっと素晴らしいものがぴかぴか(新しい)

自分にとって一番ぴったりくる方法で受取ってみてください。
自分がいつもどんな時にどんな状態で受取ることが多いのか憶えておくと、意図的にその状態を作りだし、コントロールできるようになるのかもしれません。
感じてみてください。これが得意、というのがあるはず。自分にとってはあまりにフツーすぎて、気付いていない、ということもあります。また、人に「変わっている」と思われたくなくて、感じないように、言わないようにしてきているかもしれません。

でも、どんなことでも、それぞれに授けられたということは、その人にとっては必要だからであって、それはあなたにとっては素晴らしいものであるのです。あなたを通して光輝き、あなたの周りの人にとっても。
たとえ今、自分では嫌だと思っていたとしても、いつか、素晴らしい花を咲かせてくれますぴかぴか(新しい)
そのために、授けられたのだから・・・


posted by Kaoru at 13:59| Comment(0) | コトダマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする