誰もみんな、それぞれに貴重で必要な事を経験している、学友です。
そして、すべての存在が、光輝く魂を持っています。例外なく。
この世に「落ちこぼれ」なんて存在しません。
だから、「私なんて・・・ダメだ」と思うことなど、全然ありません。
ダメだと思うのは、そこに「比較」があるからです。
今まで知らず知らず刷り込まれた周囲の価値観や、間違った思いこみなどで、自分で勝手に決めた基準がそこにあるだけです。
そしてもうひとつ、自分がどんな自分になりたいと思っているかどうかです。
同じ事をやっていても、自分が何を目指すかで、その内容には違いが出てきます。
でも、どちらであっても、それはそれぞれにとっては同じ大切な体験なのです。
「比較」することで、せっかくの大切な個性が隠れてしまい、相手の方を良しとして自分の方を放棄した場合、生きる喜びを失い、自分を見失い、身体や心に不調をきたす原因になったりします。
「自分のもの」を大切にするのがいちばんです

「ダメな私」など、どこにも存在しません。
いるのは、世界でただひとつの、光る魂。どんな自分であっても、まず自分を愛するのは、自分であってほしい。自分を上手に愛せれば、自分を愛するように愛してくれる人が現れます。
自分をそまつにする人は、自分をそまつにする人としか逢えません。
「誰も愛せない」という人は、まず自分を愛してみてください。
自分を自分で愛するのは、意外に難しかったりします。ナルシストになれというのとは違います。
好きな人を大切にするように、自分を大切にするのです。
傷ついていたら、いたわってあげる。
ほんのちょっとのことでも、自分をほめてあげる。
「誰にどう思われても、いいじゃない、私は私だし」(ひらきなおりとは違いますが、ひらきなおりに近いかな


どの段階も、それぞれにとって必要な体験をしているのだと思うと、人のことを悪くいうこともなくなります。←わざわざ口にすることでもないですが。
自分ではわからなくても、人はそういうところには敏感です。
「そこはかとない確かさ」が出てくるのです。
確かさが出てくれば、おのずと人間関係も変わってきます。
人の心は繊細で、眼に見えない変化を察知する力があります。言葉以外のところで流れるものが現実を左右することは、たくさんあります。
なので、自分の周りを見ていれば、自分がどうか、ということが即座にわかるのです。
「何となく感じる違和感」は、人を遠ざけるものです。
だから、波長の違う人とは、お近づきになりにくいのです。
なんの心配もいりません。
「自分は自分」でいるだけで、完璧なのだから。
「今の自分」が、自分にとって「最善の自分」なのだから。