2011年01月07日

理解者

10代、20代の時は、
「どうしてわかってくれないのかな」とか、「わかってほしい」という気持ちが強くて、“理解者”が欲しくて欲しくて、よく独りぼっちだと思っていました。

同じ病を持っている人ならわかりあえるのかなとも思っていたのですが・・・

今思うことは、たとえ同じ環境にいても、何を考え、どういう答えを出してきたかで、全く違う価値観を持つこともあるのだということ。

同じ病を持っていたのだとしても、かみ合わないこともあるのだということ。

簡単に「わかるよ」と言ってはいけない人もいるのだということ。

いつも思うのは、私は相手を本当にわかってあげられているのかな、ということ。

こちらが「わかった」気になっていても、相手がそう感じてくれない場合は、やはり真に「わかった」ことにはならないのだということ・・・

逆に、相手が「わかっていてくれた」としても、自分が「わかってないよなぁ」と思えば、それがかみ合うことはありません。

でも違った環境にいたのだとしても、同じものを見、同じ事を考え、同じ答えを出してきたのなら、理解しあえることもあるのです。


今は・・・もう「わかってほしい」と思わなくなりました。
諦めとか、妥協とかとはちょっと違います。
初めから期待していないのです。
「わかってもらえなくてもいい」 私は私で在る事に、変わりはないから。
何も説明しないから、好きなように思ってくれたらいいよ、って。
「あなたが見たままの私」だから。

「わからなくて、あたりまえ」と思っているから。
親兄弟と言えど違うなぁと感じることは多々あるのです。夫婦なんてもともと他人。わからなくてあたりまえ(笑)

・・・と思っていると、腹もたたないし、ちゃんと言葉にして伝えないとな、と重い腰もあがったりするのですたらーっ(汗)

何より私には、亡くなった父と、他のサポートし続けてくれている様々な存在があり、私自身でわからない私すら熟知してくれているので、ちっとも寂しくないのですわーい(嬉しい顔)

目に見えないものを感じる(信じる)のは難しく、いつも証明を欲しがるものですが、自分が困った時に自分の力を超えたところでふと問題が解決したりすると、自然に感謝の気持ちがわいてきます。
人間関係でも、不安な時、そんなふうにお互いの間に流れる目に見えないものを良い方へ信じられれば、心が安定するのかもしれません。

霊的な表現をすると、あやしく聞こえたりするかもしれませんが、実はごくごく身近に普通に皆が感じているものだったりするのですよ。
実際、霊的な能力を持っている人もいるでしょう。でも、それは得意不得意な分野が違うだけで、みんな一緒。
目に見えないものも、人間関係の間で流れるものも、自分の心の中に生じる様々な感情、イメージ、周りで起きる動き、どれもエネルギーです。

でもやっぱり目に見えないから、人の心にも、周りの動きにも、自分のことにも、どうしても不安の方が勝ってしまう時は、言霊の力を借りて本人に直接話してみる。あるいは自分で自分にアファメーション(肯定宣言)してみる。
案外自分の考えすぎだったり、思いこみに過ぎなかったり、ということもあります。
もやもやは、溜めない。もやもやが成長しても、いいことひとつもありません。

スッキリ! 行こう!


posted by Kaoru at 10:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする